と切符が買えないようでは、とても男の子は割りこめない。

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 八月の十七日といえば、どこの学校も夏休ミであるが、宝塚の予科ばかりはやっていました。見学に行ったら、ちょうど日本舞踊とバレエのお時間。ちかごろは日本中がバレエばやりらしく、知人を訪問すると、そこの娘が壁に身を支えて基本のお稽古をしている。同じことをやっていた。小柄のお年を召した女先生が杖をトントン突き鳴らしながら鷹のような鋭い目で一挙手一投足にきびしい注目を浴せている。修身の先生の厳格なのとちがって、芸道の厳格さというものは見た目にも美しいし、かえってホノボノとあたたかい救いを感じるなア。実際、睨まれると石になりそうなりりしい先生だった。
 基本というものが確立している西洋の芸術にくらべて、日本の芸道は手ほどきの法がゾロッペイだから、二ツを一度に並べて見ていると、なんとなくタヨリなさが身にしみる感じであった。先生が三味線をひいている。正面に生徒が並んで、立ったり坐ったり扇子をかざしたり歩いたりする。
 この動きの基本を定めるとすると、さて、いかなることに相成るか。眺めていると、そういうことが気にかかってくる。日本語の文法よりも、もっと、もっととりとめのない感じだなア。碁将棋には定跡があるし、武術には型があるが、それは基本とは違うようだ。柔道ではまず転び方を教えるが、この方が基本にちかいものだろう。私はボンヤリ考えこんでしまいましたよ。よろず学びごとに基本とか教程が定まらないということは、それを実地に見せつけられると、実にタヨリなく、侘しい気持がするものですね。
 予科は一年しかない。翌年はもう舞台にでる。「虞美人」では兵隊さんの多くが今春初舞台の少女たちだそうだ。使い方が巧みだから、ヘタが目立つような稚拙な構成は見られない。今年の一年生は三十一名でABC三組にわかれ、一週の授業は、日舞、ダンス、声楽が各八時間。ピアノ、演劇各三時間。英語と国語が二時間ずつ。楽典と教養が一時間ずつになっている。むかしは礼儀作法から女学校の一通りの学問を教えたそうだが、今は新制中学当年卒業が入学資格で、一般教養はすでに終了と認めて専門教育に重点をおいてるそうだ。
 私は三年ほど前に、某撮影所の迎えの人に無理ムタイに撮影所へひきずりこまれて、試写を見せられ、撮影を見せられ、ニューフェイスの教室までのぞかせられたことがある。このニューフェイスの教室にはおどろいたね。これを面白がってムリに一見をすすめる活動屋のキモの太さの方が天下の奇観なのかも知れない。女生徒は女優の卵なみにあたりまえの洋装だが、男の方はみんなアロハのアンチャンそのものだ。先生の講義に耳を傾けているのは一人もいない。隣り同志どころか、あッちとこッちと遠くはなれた同志で遠慮なく語らッているし、たッた十五人ぐらいの生徒のうち常に一人か二人が当り前の跫音《あしおと》で教室を出たり入ったりしているよ。女の子というものは常にあのようにハンドバッグを開けたり閉じたりする習性があるのだろうか、絶える間もなく誰かしらがハンドバッグを開けてのぞいて掻きまわしたり、ちょッと置いてみたり、実にどうも十五人の全員が鳥籠の中のメジロのようにキリもなく動いているね。
 講義中の先生は私もその名をよく心得ているその道の大家で、東京と上方《カミガタ》の芸者の作法や習慣の相違を説き明していらッしゃる。拙者がきいてると、大そう面白くて有益なお話で、映画俳優の卵には後日役に立つに相違ない話だ。けれどもビクターの犬の十五分の一も謹聴という態度を表しているのは完璧にタダの一人もいなかったね。よそのお客にこんな天下に類例マレな教室をわざわざ見物させるというのは、国家ならば国辱であるが、活動屋というものはこういうダラシのない自分の学校を喜び勇んでお客に見せる。そのコンタンのほどはとても相分らんけれども、要するに学校だの教室などというものが、撮影所全体にとって全然問題でないことだけは確かだね。ここに奇怪な存在は、それを承知で熱心に講義している先生であるが、別に厭世的な顔色でもないし、悟りをひらいた面持でもない。撮影所というものは全然ワケのわからん風が吹いてるところである。
 宝塚の学校にはこんな異様なマーケットの風は全然吹いていません。教室も生徒も他の女学校と見たところ同じようなもので、タダの女学校の教室よりも揃ってマジメに授業をうけているオモムキはハッキリしているけれども、特に血のにじむような気魄がこもっているところは全くありません。要するにヨソ見にふける生徒がいない程度の熱心さなのである。未来のスターの卵と云っても、十五六という年齢は育ち盛りという春の草木のような目ざましさが目につくばかりで、容姿はその裏に没してあまり目立たないのであろう。揃って
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