ら、不破、野上、ワサミの順に陣をかまえた筈でなければならないが、ワサミに大軍がおってこれを握ってる高市皇子は近江の方へは全然動いた記事がありません。のみならず、近江方の羽田公矢国という大将が帰投すると、これを味方の大将に任命して、越《コシ》へ攻め入らせています。近江に敵がいるのに越を攻めるとはワケが分りません。
 まア、そのへんはどうでもいいのですが、伊勢、伊賀、尾張、美濃などの大軍がうごき、近江の方も九州や東国へ援軍を送るように使者をだしている。それによると、東の方は天武の領分で、西の方の諸国は近江方の領分のように思われますが、大友皇子の命で筑紫へ援軍をもとめにゆく使者がアズミ連《ムラジ》です。
 一番変テコなのは、すぐお隣の国で、そしてどちらの陣にとっても一番ちかいお隣りのヒダに、どちらも援軍をもとめない。それどころか、信濃という言葉はでてきても、ヒダという言葉は完全に一度もでてきません。これはどういうわけでしょうか。
 すでに申上げたように、両面神話はたいがい一応アベコベにひッくり返してあるものだ。壬申の乱では伊吹山を中心に敵味方が西と東になってるが、筑紫へ行く使者が明かに信濃の生れたるアズミ氏だから、これも恐らくアベコベになっているのだろう。それも伊吹山が中心ではなくて、両方にとって隣国でありながら全然タブーの如くに一度も名が現れないヒダというひみつの国が実は中心であって、ヒダ中心に東と西が逆になっている。こう見ると多くのことが大そう分り易くなって参ります。
 それ以前の歴史で見ても、日本武尊の東征の順路とか群蠅の飛んだ順路などで、ヒダ、シナノ、上野、常陸、越、奥州などが皇威に服さぬ一連のエミシどもの住む土地であることが分る。すると、実は東国の方が大友皇子の側だということが分るでしょう。
 したがって、日本書紀に現れる戦争の地名は、むろん戦場がその土地ではない筈だから全然デタラメなコシラエモノにきまってる。しかし、両面神話というものは、それが各時代のいろいろの両面人となって現れてるうち、そのどこかに真実が隠され暗示されているものだ。
 すると、大友皇子によく似ているのは日本武尊であるから、この戦争の陣立がアベコベになってるように、日本武尊も東征の往路と復路の二ツがあるから、その復路の方が、そして日本武尊が信濃坂で道に迷い伊吹山で死ぬまでのところが大友皇子の場
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