見川のほとりとあるが、伝説上のスクナの負傷地もこのあたりであるし、日本武の負傷の場所も、それから、ミノ、ヒダをめぐって天武持統朝に妙なことが行われたのも、みなこの近辺をさしているのである。そして国史の不破の関はここではないが、人麻呂が歌によむ不破山は実はこのあたりにあって、恐らく喪山近辺の山の一ツか総称かであり、したがって不破山を越えて行った筈のワサミガ原のかり宮というのも不破の関ではない筈である。地名をさがせば、多くの原形はたいがいそろっておる。ミノ、ヒダにない原形はないほどです。そして、天ノワカヒコを葦原の中ツ国につかわした。その日本のマンナカの大国主の住むという中ツ国がミノの藍見川のホトリであるという。しかし、これぐらいのことに驚くことは毛頭ない。もっと、もっと、重大なことはいくらもある。大和朝廷の方がいかに多くヒダ、ミノの地名をかりて自分の土地をコジツケたか。それを証明する例はあとで申上げます。
 両面スクナの伝説で見のがせないのは彼が日本の首長たるべきであるのに敵にはかられて殺されたということで、日本武尊もそれに似ているし、五瀬命ももし生あらば自分が兄であるから日本平定後即位するのは彼であったであろう。
 スクナは日本の首長たるべき人であったとも云う。伝説だからハッキリしません。そして皇位をつぐべきであったのに、帝に憎まれて追われたというのは、古事記の日本武尊の方がむしろハッキリそうであるが、この日本武尊の運命に似た人々が古代史に多く現れ、それはまたこの地になんとなくユカリありげに暗示されている。その似た宿命というのは、日本武尊とその分身の大碓命を合せたようなもの、つまり、恋人だの皇后たる人の兄が妹をそそのかして天皇を殺させて自分が天皇になろうとする、そして却って殺される。そのアベコベに殺したのが女帝自体だというのもあり、仲哀天皇や天ノワカヒコはその例であるが、前者の方には崇神帝の場合があり、その他いくらも似た例がある。これも両面伝説の主人公の悲劇性の一ツとしてダブって重なり、合せて一ツの真相を暗示しているのかも知れぬ。
 ところが、後世に至って大友皇子と天武天皇の例が起った。大友皇子は天智の子。天武は天智の弟で皇太子。しかし、皇太子をゆずらないと自分が殺されそうなので、いったん大友皇子にゆずって吉野へ隠れた。しかし天智天皇の死後に挙兵して大友皇子を殺し、
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