ったか。史実を解く鍵の中にかくの如き奇怪なものがあるとは、これは、どうも困ったな。歴史を解くということは、なみなみならぬムツカシイ事業であるぞ。
 しかし超特製品の胃袋が全市民に共通している長崎は、さすがに食べ物が安いね。だいたいに九州全体が安いのだろうか。
 私は福岡で汽車を二時間待つ間、水タキを食う気になって、案内所で、駅に近い水タキ屋をきいた。手軽でお値段も高くないという近所の店をきいて出かけると、料理屋じゃなくて、汚い小さな旅館だったね。住吉町の住の江旅館と云った。
 ここで五人でも食いきれないような大量な水タキが運ばれ、サシミが現れ、ビールを四本のんで、御飯をくって、この二人分の勘定が二千円で何十円だかオツリが来たのですよ。このオツリが金鍔次兵衛のサイセン箱へ差上げた二十円だったらしいな。東京なら五六千円より安い筈はなさそうだが、実におどろきましたよ。建物や部屋は汚かったが、女中も親切で感じがよかった。ここに旅館名を御披露して責任をもってスイセン致しておきますから、汽車を待ち合す時間が二三時間あったらお試し下さい。自動車で三分、歩いても十分ぐらいでしょう。安直に、そして不味ということもなく、裏切られるということはまずないと思いますよ。
 長崎も食べ物は実に安いね。そして、さすがに、日本では最も特徴のある郷土料理をもっていますよ。
 そして、結局、本格的な料理で食ったものよりも、私の泊った旅館の料理が一番うまかった。福島旅館というのです。ここで食ったシッポク料理は料理屋のよりもうまかったのです。
 あとできいたら、福島旅館なるものは、終戦前まで仰陽亭とか云って、長崎第一級のシッポク料理屋だったそうですよ。うまいわけだ。当時の第一級の板前は居ないにしても、前身がそうであればそう変テコな板前を置く筈はないから当然であろう。宿の定食のあたりまえの料理でもうまい。いわゆる宿屋料理というものではありません。大そう感じのよい静かな旅館でした。
 花月という料理屋へ行ったら、こっちの方は十五年前まで女郎屋だったそうですよ。女郎屋といっても特別格の女郎屋で、その建物は築地あたりの第一級の料亭よりも貫禄がありそうだが、この春雨の間で端唄「春雨」が作られたとか、頼山陽の食客の間だとか曰くインネン多々あっても一向に面白くもないものばかりだが、一番面白かったのは、私が酒をのんでいた春雨の間の隣室は支那風の部屋で、ここはオイランのセッカン用の部屋の由、昔は牢屋のような格子がはまっていたものらしく名所旧跡的な曰くインネンよりも、怪談怨霊的曰くインネンの方がはるかに多種多様に部屋々々に伝わっていたものらしいようであった。どうしても楼主の命にしたがわず、身をうらずに、セッカンされて悶死したような娘がここには相当多かったものらしいね。これも長崎的なのかも知れないな。
 実際、長崎というところは、開港場であって、それに相応した開放的な気風もたしかにあるにはあるのだが、そのアベコベの鎖国的、閉鎖的な気風が少からずありますな。そして、長崎の女は、他の九州の女のように武士道的に、葉隠れ的に、また切支丹的に身を守らずに、かなり自由な自分の感情だけで身を守っているようなオモムキがありますよ。そして彼女のかなり自由に選択された自分の感情というものが、開港場的に開放的に現れずに、むしろ保守的に、閉鎖的に、不自由にと、自ら選ぶようなオモムキになるようですね。
 しかし、とにかく、長崎には、非常に独特な都市の感情がありますね。それはたしかに他の都市の感情よりも悪いものではありません。その感情は実に古風で保守的であるが、因習的にそうなのではなくて、かなり自由奔放な魂や感情が、自分一個の立場で、古風なもの、保守的なものを選んで愛しているような、やっぱり開港場的な、古風で保守的ながらコスモポリタンでもあるという各人めいめいの生き生きとした自由な魂もあるのですね。
「長崎にはパンパンはいません」
 という。それを改めて思いだすと、古風で、自由で、可憐な長崎が、かなりよく分るではありませんか。パンパンはいないけれども、およそ旅人に窮屈を感じさせる街ではないのです。そして、甚しく古風であっても、決して恋のない街ではないのですよ。あるいは昔から、この港町にだけは、恋があったのかも知れないな。いつまでも、古風で、かなり明るくて、かなり自由奔放で、なつかしい港であるに相違ないね。概ねかたよったところが少く、そのなつかしさをかなり信用して愛するに足るものがあろう。
 しかし、この街の胃袋だけは――しかし、痛快でもあるなア。一日三合の配給に神を売らざるを得なかった胃袋というものは、考えれば考えるほど、決して人の心を暗くさせるものではないなア。
 要するに、胃袋の欲する量を欠かしてはならないということは、平和の根本条件なんだね。長崎と浦上の胃袋は、けだし平和の根本条件の化身の如きオモムキがあるのさ。チャンポンのカナダライが一とまわり小さくなる時は、まさに長崎滅亡の時であろう。



底本:「坂口安吾全集 11」筑摩書房
   1998(平成10)年12月20日初版第1刷発行
底本の親本:「文藝春秋 第二九巻第一一号」
   1951(昭和26)年8月1日発行
初出:「文藝春秋 第二九巻第一一号」
   1951(昭和26)年8月1日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:tatsuki
校正:深津辰男・美智子
2010年1月13日作成
青空文庫作成ファイル:
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