だし、いくつかの神社とその祭礼の在り方からみると、祭神を異にする異部落民がいつからか合議して村の秩序をつくっていたことは明かのようだ。そしてそれらの祭神は漂流した氏族のものではなくて流人系統のものかも知れん。
大島の土着民には三宅島のような古伝はない。役の行者が流島になったという伝説が一番古いのだろう。もっとも先住民族の遺跡はある。野増村では熔岩の下から人骨と縄紋土器と石ウスとヤジリなどが出たという。波浮中学校の坂口校長先生(偶然私と同姓)の話によると、元村に現存する藤井氏(赤門というね)が中世の移住で、相当の格式をもち、コードのヤブという祖神を祀って神官をつとめ、支配的な位置についていたという。しかし、差木地《さしきじ》と泉津にはそれ以前からの先住民がいたらしい。その先住民の移住の経路や時代は分らないが、三宅島が奈良朝以前なら、これもそれと同じようにみてよかろう。こういうことは、どうせハッキリ分りやしませんね。
クダクダしく分りもしない歴史をのべたが、要するに奈良朝以前からの原住民のそれと今の大島の特殊な風習と、どこまで関係があるかどうか、全然わからんというのが、私の考えなのさ。
前へ
次へ
全27ページ中19ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング