ダイゴ天皇の御製に、枕の下に水くぐる音、とあるが、なるほど吉水院の門前の家には竹のトヨで山腹から清水をひいてチョロ/\流れているのを現に用いているけれども、その清水の溜り水が深く濁りよどんで臭気があるほど流れている水量はチョロ/\にすぎない。吉野の宿屋はこの吉水院と同じように深い谷の上に一列に並んでいるが深夜になっても私の枕の下は水の音がくぐらなかったね。恐らく雨がふれば、眼下の谷に水流の音がトウトウと鳴るのであろうが、お天気の日は枕の下はほとんど水音はないね。実に高い谷なんだ。私の泊ったサクラ花壇という妙テコリンな名の旅館の座敷から見ると、はるか眼下にトンビやカラスが舞いまわり木の枝にとまっている。実にはるか眼下の木の枝にです。トウトウと谷が流れて然るべきだが、吉野山なるものは殆ど水がないのである。
だから、吉野に於ては、むかし、むかし、井戸があるとすれば、実に最高の宝であったに相違ない。吉野の親分が井戸の中から這って現れたというのは当然の話ですよ。東京の親分は省線の駅を縄張りにマーケットをつくるが、吉野の大昔の親分はたった一ツの井戸を縄張りにマーケットを造ったにきまっていや。高い水を売りつけてボッたんだね。貴重な水だから、濁っていても光りかがやくさ。
吉水院の前には珍しく清水があったし、名も吉水だから、吉野をひらいた役の行者がこゝに庵室を造ったというのも、こゝが水にめぐまれていたせいかも知れない。その庵室が後年の吉水院、今の吉水神社、後ダイゴ天皇の仮の宿舎です。この庵室は鎌倉時代の建築で、後ダイゴ帝の泊った時のままのものだ。後ダイゴ帝の遺品には楽器が多いや。御岳丸笙、国軸丸笙という笙があったし、七文字笛、高麗笛という笛の精が中に住みついているようなのもあったね。楽記という書物もあった。続拾遺和歌集があった。風流でいらせられる。詩歌管絃に身をかためて京都を脱出あそばしたね。字も名筆だ。この帝、感情豊富ナリ。しかし、水の乏しい吉野で、枕の下に水をくぐらせてしまったのは、誰しも傷心やみがたければ、そうもなろうというものだろう。だいたい人の判断が視覚に幻惑される例は多いね。この山この谷の姿を見ればトウトウと谷の流れや至るところに清水の流れを思うのは自然なのさ。この山に水がないときいた方がビックリするよ。全山冷めたく清らかな清水にあふれているように思われますね。桜ノ花
前へ
次へ
全17ページ中4ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング