の選定も家康の智恵ではなくて秀吉のすすめであったと云われている。秀吉が小田原の北条氏を攻めたとき、石垣山の頂上へ家康を案内して眼下に霞む関東平野を指し、
「小田原平定後は関八州をあなたに進ぜるが、あなたは居城をどこに定めるお考えか」
「北条氏同様、まア、小田原を居城に致す考えです」
「イヤイヤ。背後に箱根の天嶮をひかえた小田原は戦争向きかも知れないが、すでに時世の城ではござらんな。二十里東方に江戸という太田道灌築城の地がござる。入海に面し、広大な沃野の中央に位しております。また沃野の奥深くから流れてくる河川の便にも恵まれております。四周に豊かな生産地をもち、水陸の交通輸送の便に恵まれている江戸の地ほど、新時代の城下に適したものはござらん。ぜひここを居城となさい」
と、きわめて誠意ある忠告をしたという話が残っている。
政宗も実は石巻の日和山に築城したかったのだという話がある。なるほど、ここは仙台よりも水陸輸送の便があり、みのり豊かな北上平野を背後にひかえて、当時に於ける物産と交通の中心地点たるに適したところである。政宗の考えでは、意地のわるい狸オヤジのことだから、たぶん第一候補地を否
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