アラレもないことを口走ることでは代表選手の趣きがあった。大井広介夫人にもその趣きがあるし、ふとっちょの実業家D夫人(夫人自身がふとっちょで実業家也)は、普通の人がそんなことを口走ると一週間も寝込みそうなことを次から次へと口走ってケロリと忘れているが、お金モウケに忙しいから、てんでこだわらずに年中怖しいことを口走っていらせられるよ。しかし、あの人にも大阪ナマリがあるなア。すると、大阪人か。
 私は大阪のお嬢さん方に会って、一番感心したのは、どれもこれも凡庸だということであった。キゼンとした身構え、むしろ見せかけというようなものに殆ど心をわずらわすことがないように見える。彼女らは職業に従事し、その道のベテランであったりしながら、殆ど職業化した中性人の風をもたない。いつも家庭人であって、そのままスッと、どこへでも気楽にはいりこめるようである。私が彼女らと会ったのは、大阪を立ち去る三時間半前ぐらいで、ゆっくり話もきけなかったが、ミス大阪はじめ二三のお嬢さん方は私たちを送ってコンドルという織田作にゆかりのバーへ立ち寄ったが、東京の娘だと肩を怒らして堅くなるようなこういうところへ来ても、彼女らは実に楽々と同じことで、家庭にいると同じように、どこへでもコダワリなく滑りこめる感じであった。彼女らは平々凡々であるが、平々凡々とどこへでも滑りこみ、ちゃんと仕事の責任を果し、クッタクがないという非凡人でもあるらしい。
 総理大臣賞のデザイナーというと物々しいが、この人にも職業化した中性人の風がミジンもない。面白かったな、この黒ちゃんは。徳田君は十九ぐらいでしょうと云うが、マサカね。二十一、二にはなってるだろう。顔が真ッ黒けだね。大雪のあとだからスキーに行って焼けてきたのである。その黒さが並大ていの黒さじゃないね。ここまで思いきって黒くなれるもんじゃない。しかし村田※[#「王+旬」、第3水準1−87−93]子さんは一年の大半かくの如くに真ッ黒だそうだね。夏は海で、冬は雪山で。白くなるヒマが少いそうだね。しかし彼女は美人なのである。至って無口であるが、いつもニコニコしている。言葉の通じない南洋美人と一しょに居るようなものだ。これも亦、平々凡々、総理大臣賞でもないし、デザイナーですらもない。花柳有洸さんも、対坐していればタダの娘である。専門家という特別なものを、平常は全く身につけていないところが、フシギな思いがするほどだ。見るからに平々凡々たる娘さんであり、平々凡々とどこへでも滑りこんでいるような感じは、この人たちの場合でも同様であった。
 一番よい意味の家庭人という感じである。家庭人でありながら、そのままどこへでも気楽に滑りこめるし、どんなに専門的な仕事に従事していてもいつも立派にそして平凡に家庭人だというような、理窟ぬきでそうなっている自然さがあった。こういうお嬢さん方に会ってみると、あの大阪の盛り場の雑踏がよく分るね。大阪の盛り場は、とても東京では見ることのできない混雑である。盛り場はいくつもあるが、なんてまア人間が多いのだろう。どこへ行ってもごッた返してらア。
 よく働き、よく遊べ、という甚だしく平凡な生活人の町なのだろうな。労働者は労働者の盛り場で、これはまた、己れの快的な愉しみに従事しているね。大阪は凡人の街なんだね。そして女が男よりも美しい街だ。なぜなら、大阪の男は凡人であるよりも、もっと悲しい凡夫だからさ。自分の袋を自分で背負わない女には、悲しい凡夫は袋の重味だけでもとても勝てッこないのです。

          ★

 凡夫はせっせと働き、頭に策をめぐらして、とんでもないことをやらかす。
 御堂筋に三ツ寺というのがあるね。私はこれには悩まされた。京家から自動車にのる。どこへ行くにも、どうしても三ツ寺の前を通るんだね。一日に二度でも三度でも、自動車にのれば必ずこの前を通るというのは怨霊のせいかと遂にはイライラしたほどである。
 昔、吉原だの浅草の遊女屋が、西洋風に改築するのが流行したことがある。外側は白やピンクのけばけばしい壁にぬり、窓がズラリと一階二階三階平行して同じように並んでいる。それらはみんなこの戦争で焼滅してしまったが、天下に一ツだけ残ったのが三ツ寺なんだね。大阪の人は「三ツデラサン」という。鉄筋コンクリートだから形が残るよ。そして屋根だけが、いくらか寺だ。妙なチョンマゲのような屋根である。真言宗だかのお寺ですよ。大阪の凡夫は狂おしく頭をしぼって、こういうお寺をつくるから、袋を背負わぬ女の子は自分の町の男の子を軽蔑するね。しかし袋の重味で凡夫はいろんな策をめぐらさなければならないのだ。
 大きな国技館が立ちよると思っていたら、出来上ってカンバン(ネオンだね)があがったのを見ると、メトロというキャバレーだったそうだ。大阪新名物だと今のところ大騒ぎだが、イヤハヤ、馬鹿々々しく大きいね。そして大ゲサなアトラクションだが、飲ませるものときたら、ひどいね。ジンヒーズをたのんだら、ジンらしき香りがチョッピリ。二杯目をたのんだら、カルピスの中へチョッピリとジンをたらして持ってきた。カルピス・ジンというのは珍しい。しかし、ジンの方は分るか分らぬ程度に小量でカルピスがほぼ全部。おまけに高いのである。こういうところが押すな押すなの混雑だから、女の子が男の子を軽蔑するのはムリがないようなフシもあるね。便所へ立ったら、客用の便所は修理中使用禁止とあり、楽屋の便所を使う仕組みになっている。ダンサーの脱衣所の隣りである。
 キャバレーにはコリゴリして、バアをさがす。織田作ゆかりのコンドルというのを、まだその時は知らないから、とにかくカルピスジンではないピリリとした洋酒をのませる店を見つけようというので、ずいぶん歩いた。心斎橋や道頓堀界隈にはバアというものがないようだ。東京の飲んだくれは小料理屋で一パイのんでバアかなんかで洋酒で仕上げをするというのが普通のコースであるが、大阪はバアに代るのがキャバレーという訳でもない。カルピスジンでは仕上げになりませんや。
 大阪は食道楽だというが、現在の大阪はそうではないね。フグ料理は大阪では一般に普及した大衆的な食べ物だ。ジャンジャン横丁的なフグ料理屋すらあるのである。私が食べたのは第一流の店ではなかったかも知れないが、名の知れた店ではあるらしい。東京のフグ料理とは比較できない不味である。第一にフグの品質がわるいし、職人の腕もヘタだった。一般に普及しているもの、必ずしも美味ではないのである。街々には、まだ東京には復活しない甘栗があった。食べてみると、昔と同じのはあの焼いている匂いだけ。甘栗ではなくて、ユデ栗の皮だけが甘いだけの話だ。甘くっても皮は食えないな。
 大阪人は実質派であるけれども、味覚的な実質、審美的な実質まで届かずに、安値で一応味覚にかない満腹すれば足るという程度の実質派である傾きがある。だから大衆食物で高価なものは不味なのだろう。トコトンまで高価にして味覚専一にやれないからであろう。元々一番安いというもの、キツネウドンだのホルモン焼きのようなものが、実は一番うまいのかも知れない。大阪で一番美味を味っているのは、あまりゼイタクのできない人たちであるかも知れないのである。もっとも飛びきりゼイタクな料亭は、あるいはうまいのかも知れないな。
 例の三ツ寺の隣りに入口の小さいバアらしきものを見つけて飛びこんだら、これが中へはいると大そうな広さで、やっぱりバンドがドカドカやっているキャバレーだ。コンパという店名であった。大阪は妙なところで、メトロのようにバカバカしく華美な装飾を施したのがあると思うと、まるでミルクホールのように殺風景なのがあるのである。コンパの殺風景なこと。大きな店内に、植木鉢もなく広さの目立つこと夥しい。こういう殺風景なのは、とても東京では見かけることができない。しかし大阪には、こういう殺風景なのがタクサンあって、コンドルも殺風景だし、OKも殺風景だ。ゴタゴタとバカバカしく華美にやる店よりも、私には殺風景な店の方が気持がよい。バカバカしく派手な店は気心が知れなくて、つきあう気になれない。どうせカルピスジンのたぐいだろうと思われるからである。さすがに殺風景だけあって、コンパでは本式のジンヒーズをのませてくれた。
 檀君の案内で織田作ゆかりのコンドルというところへ行ったが、なんとなく、なつかしいや。しかし、この店などは東京で云うと、どういう種別にはいるのだろう。やっぱり、バアかね。バアとすれば、場末のバア。いかにも、そういう感じであった。北海道の山奥なんぞに、金鉱かなんぞが発見されて突如として人口二三万の町ができゴールド・ラッシュで山男の呑みッぷりがよろしいという時に、コンパというキャバレーや、コンドルというバアや、OKという喫茶店ができるような気がするな。それが北海道の山奥にはなくて、大阪の目貫きの街にあるんだね。するとつまり、大阪には北海道の山奥に住むのが然るべきようなゴールド・ラッシュ派の山男的存在がタムロしているという証明にもなるのかな。なるほど、織田作にはそういう山男的なところもあった。将棋の升田だの坂田などゝいう人も、殺風景なところで酒をあびるにふさわしい豪傑であるし、案外、拙者なども、そうかも知れんわ。ジャン/\横丁ごときには、てんで驚かないのだからね。イヤ、大阪出身、北海道の山奥みたいなところが、たしかに、あるね。ゴールド・ラッシュの夢をえがいて人がひしめいているのは、アラスカだの北海道の金鉱区にかぎったことではないのだね。大阪が一面そういう町なのだ。金鉱町はバラックであるが、大阪という町にも、表通りはとにかくとしで、どこかしらにゴールド・ラッシュ的山男人種のバラックが存在するにきまっている。いや、表通りにすらも。それが鉄筋コンクリでも、その内実はバラックなのである。そして、今までのバラック族が本建築族に出世する時には他の区域にバラック族が住みついて、永遠にバラックの絶えることがない町なのであろう。
 バラックの心。それは一つの勇心ボツボツたる魂でもあるかも知れない。バラックへの郷愁。ボツボツたる勇心の流す涙かね。織田作の霊よ、安かれ。
 どうも私はストリップだのジャンジャン横丁だのキャバレーだのと、ロクでもない大阪ばかり見物し、会見した人物といえばお嬢さんだけとは怪しからん、という抗議をなす人があるかも知れないが、これがどうも私のせいではないのである。
 私も大阪のしかるべき代表的名士に三四会見を申込んだが、一応は承諾したのち、みんな用を構えて逃げられたのだから仕方がない。申し合せたように一応は承諾するところが、面白いな。結局巷談師安吾という奴は、どんなことを書くか分らん、というのが心配のタネであったのだろう。
 要するに、会見に応じて悠々と現れて下さッたのは、お嬢さん方だけであった。そういう次第なのである。大阪のお嬢さん方は、巷談師安吾の如きにはビクともしないのである。どんな動物だか見てあげましょうというような軽い気持で、実に彼女らは天真ランマンですわ。大阪の実業家だの名士というのは、やっぱり二流だね。一流の魂があれば、巷談師ごときに怖れるところはなかろう。おそらく東京だったら、私が会見をもとめた政治家や実業家は悠々と会うかも知れんが、お嬢さん方の方は怖れをなすんじゃないかね。
 また、大阪では、あやしい所を遍歴するたび、警察の人にまちがえられて、大いに困った。徳田君といっしょに裏町やテント張りのストリップやマーケットなどへ見物にでむくと、私服の案内で巡察にきた何かのように間違えられて、ストリップが突然着物をきて、全然ハダカにならなくなったりするのである。ポンビキなどゝいうものは、私のところへ寄りついたこともない。どうも外套をぬいで出かけなければならなくなった。今後は変装の必要があるかも知れん。
 予定では、大阪といっしょに神戸もまわる筈であったが、時間がなくて、まわることができなかったのは残念でした。



底本:「坂口安吾全集 11」筑摩書房
   1998(平
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