が、フシギな思いがするほどだ。見るからに平々凡々たる娘さんであり、平々凡々とどこへでも滑りこんでいるような感じは、この人たちの場合でも同様であった。
一番よい意味の家庭人という感じである。家庭人でありながら、そのままどこへでも気楽に滑りこめるし、どんなに専門的な仕事に従事していてもいつも立派にそして平凡に家庭人だというような、理窟ぬきでそうなっている自然さがあった。こういうお嬢さん方に会ってみると、あの大阪の盛り場の雑踏がよく分るね。大阪の盛り場は、とても東京では見ることのできない混雑である。盛り場はいくつもあるが、なんてまア人間が多いのだろう。どこへ行ってもごッた返してらア。
よく働き、よく遊べ、という甚だしく平凡な生活人の町なのだろうな。労働者は労働者の盛り場で、これはまた、己れの快的な愉しみに従事しているね。大阪は凡人の街なんだね。そして女が男よりも美しい街だ。なぜなら、大阪の男は凡人であるよりも、もっと悲しい凡夫だからさ。自分の袋を自分で背負わない女には、悲しい凡夫は袋の重味だけでもとても勝てッこないのです。
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凡夫はせっせと働き、頭に策をめぐら
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