たのである。この裏町の旅館街は檀先生もさすがに足跡いまだ到らざる魔境で、巷談師の怖れを知らぬ脚力には茫然たる御様子であった。

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 一泊半の暗黒街を除いて、私たちは京家という旅館に泊っていた。雀右衛門夫人の経営するところで、大阪では一流中の一流旅館だそうである。
 私は大阪は全然知らないし、文藝春秋新社にも大阪通は一人もいない。案内役の徳田潤君は、東京の大通であるが、大阪は殆ど知らないのである。仕方がないから、読売新聞の大阪支社に万事たのんだところ、予約してくれた旅館が京家であった。大臣の泊るところで、現在の大阪ではツレコミ宿でない唯一の旅館だろうという物々しい話。巷談師には上等すぎたが、幽玄のオモムキ、面白くもあった。
 私が上京のたびに泊る小石川の「モミヂ」は今の東京では第一線の旅館なのだろう。毎晩玄関前へ集ってひしめいている高級自動車の数だけでも大変なものだ。もう一ツ「時雨亭」というのへ行ったこともある。これがまた「モミヂ」に輪をかけた大邸宅で、いずれも富豪の邸宅を戦後に旅館にしたものである。
 こと旅館に関する限り、東京と大阪はアベコベのようだ。江戸ッ子は保守的で渋好みであるが、そういう土地で幅をきかせそうな京家が、進歩的で、新しいもの、豪壮なものの好きな大阪で格式をもっているのは意外であった。もっとも旅館にツナガリをもつのは土地の人ではなくて旅行者だが、自他ともに許すには結局土地の性格が物を云うはずであろう。するとこういう保守的な一面も大阪にはあるのだろう。
 およそ京家には戦後の変化が見られないし、戦前のモダニズムにも関係がない。水道が出たり電燈がついたりするのがフシギなぐらいで、便所は水洗式ではなく、例の関西風にフタをのッけておくという式のものだ。庭なども二十坪ぐらいの採光用の空地といった方がよいようなものがあるだけだ。
 しかし、たった一ツ、時代を超越して飛びきり理にかなっているのは、ジャンジャン横丁界隈の旅館と同様に、京家でも朝食以外は出前のみで、料理人をおかないことだ。旅館としては、この方が本当だろう。旅行者は土地の名物が食べたいのだし、他に然るべき料亭のない温泉などとちがって、土地|名題《なだい》のウマイ物店がタクサンある大阪だもの、食べ物は客の好みにまかせ、専門の料理店にまかせるのが至当。さすがに大阪生ッ粋の旅館だけの
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