が、ですよ。この自動車がいよいよ皇居前にさしかかった時に、驚くべし。東京駅と二重橋の間だけは、続々とつづく黒蟻のような人間の波がゴッタ返しているのです。これを民草というのだそうだが、うまいことを云うものだ。まったく草だ。踏んでも、つかみとっても枯れることのない雑草のエネルギーを感じた。雑草は続々と丸ビル横のペーヴメントを流れる。雑草が必ずノースウエスト航空会社の窓の外で立止って中をのぞきこむのは、その中に高峰秀子と乙羽信子の両嬢がいるためだ。実に雑草は目がとどく。天皇にだけしか目が届かんというわけではないのである。
世界に妖雲たちこめ、隣の朝鮮ではポンポン鉄砲の打ちッこしているという時に、こういう民草のエネルギーを見せつけられてごらんなさい。深夜のように人気の死んだ大通りから、皇居前の広茫たる大平原へさしかかって、ですよ。又、いよいよ、日本も発狂しはじめたか、と思いますよ。一方にマルクスレーニン筋金入りの集団発狂あれば、一方に皇居前で拍手《かしわで》をうつ集団発狂あり、左右から集団発狂にはさまれては、もはや日本は助からないという感じであった。
元旦|匆々《そうそう》こういう怖しい風景を見ているから、日本地理第一章、伊勢の巻とあれば、出発に先立って私の足はワナワナとふるえる。いかなる妖怪、怪人が行手に待ち伏せているか見当がつかない。汽車にのる。室内温度二十五度。流汗リンリ。外套をぬぐ。上衣もぬぐ。ついにセーターもぬぐ。からくもリンリの方をくいとめたが、流汗はくいとめることができなかった。出発第一歩から、限度を忘れた世界へ叩きこまれてしまった。
名古屋で下車して帰りの特急券を買うために方々うろつく。駅内の案内所が甚しく不親切で、旅先の心細さが身にしみる。ともかく元気になれたのは宇治山田駅へ着いてからで、駅内の交通交社案内所が親切そのものであったからだ。どういう手数もいとわず、遠隔の地とレンラクして、種々予定を立ててくれる。万事ここへ任せれば安心の感。土地不案内の旅行者にこれほど心強いことはないのである。
我々が宿泊を予定してきた油屋は戦火でなくなっていた。外宮《げくう》が戦災をうけたことは聞いていたが、宇治山田の街がやられたのは初耳で、翌日街を廻ってみると古市を中心に旧街道が点々と戦火をうけている。その復興が殆ど出来ていないのは、この市が最も復興しにくい事情にあ
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