間性への省察であるが、かゝる省察のあるところ、思ひやり、いたはりも大きく又深くなるかも知れぬが、同時に衝突の深度が人間性の底に於て行はれ、ぬきさしならぬものとなる。
 人間性の省察は、夫婦の関係に於ては、いはゞ鬼の目の如きもので、夫婦はいはゞ、弱点、欠点を知りあひ、むしろ欠点に於て関係や対立を深めるやうなものでもある。その対立はぬきさしならぬものとなり、憎しみは深かまり、安き心もない。知性あるところ、夫婦のつながりは、むしろ苦痛が多く、平和は少いものである。然し、かゝる苦痛こそ、まことの人生なのである。苦痛をさけるべきではなく、むしろ、苦痛のより大いなる、より鋭くより深いものを求める方が正しい。夫婦は愛し合ふと共に憎み合ふのが当然であり、かゝる憎しみを怖れてはならぬ。正しく憎み合ふがよく、鋭く対立するがよい。
 いはゆる良妻の如く、知性なく、眠れる魂の、良犬の如くに訓練されたドレイのやうな従順な女が、真実の意味に於て良妻である筈はない。そしてかゝる良妻の附属品たる平和な家庭が、尊ばれるべきものでないのは言ふまでもない。男女の関係に平和はない。人間関係には平和は少い。平和をもとめるなら孤独をもとめるに限る。そして坊主になるがよい。出家遁世といふ奴は平安への唯一の道だ。
 だいたい恋愛などゝいふものは、偶然なもので、たまたま知り合つたがために恋し合ふにすぎず、知らなければそれまで、又、あらゆる人間を知つての上での選択ではなく、少数の周囲の人からの選択であるから、絶対などといふものとは違ふ。その心情の基盤はきはめて薄弱なものだ。年月がすぎれば退屈もするし、欠点が分れば、いやにもなり、外に心を惹かれる人があれば、顔を見るのもイヤになる。それを押しての夫妻であり、矛盾をはらんでの人間関係であるから、平安よりも、苦痛が多く、愛情よりも憎しみや呪ひが多くなり、関係の深かまるにつれて、むしろ、対立がはげしくなり、ぬきさしならぬものとなるのが当然なのである。
 夫婦は苦しめ合ひ、苦しみ合ふのが当然だ。慰め、いたはるよりも、むしろ苦しめ合ふのがよい。私はさう思ふ。人間関係は苦痛をもたらす方が当然なのだから。
 ゼスス様は姦淫するなかれと仰有るけれども、それは無理ですよ。神様。人の心は姦淫を犯すのが自然で、人の心が思ひあたはぬ何物もない。人の心には翼があるのだ。けれども、からだには翼がないから、天を翔《か》けるわけにも行かず、地上に於て巣をいとなみ、夫婦となり、姦淫するなかれ、とくる。それは無理だ。無理だから、苦しむ。あたりまへだ。かういふ無理を重ねながら、平安だつたら、その平安はニセモノで、間に合はせの安物にきまつてゐるのだ。だから、良妻などゝいふのは、ニセモノ、安物にすぎないのである。
 然し、しからば悪妻は良妻なりやといへば、必ずしもさうではない。知性なき悪妻は、これはほんとの悪妻だ。多情淫奔、たゞ動物の本能だけの悪妻は始末におへない。然し、それですら、その多情淫奔の性によつて魅力でもありうるので、そしてその故にミレンにひかれる人もあり、つまり悪妻といふものには一般的な型はない。もしも魅力によつて人の心をひくうちは、悪妻ではなく、良妻だ。いかに亭主を苦しめても、魅力によつて亭主の心を惹くうちは、良妻なのだらう。
 魅力のない女は、これはもう、決定的に悪妻なのである、男女といふ性の別が存在し、異性への思慕が人生の根幹をなしてゐるのに、異性に与へる魅力といふものを考へること、創案することを知らない女は、もしもそれが頭の悪さのせゐとすれば、この頭の悪さは問題の外だ。
 才媛といふタイプがある。数学ができるのだか、語学ができるのだか、物理学ができるのだか知らないが、人間性といふものへの省察に就てはゼロなのだ。つまり学問はあるかも知れぬが、知性がゼロだ。人間性の省察こそ、真実の教養のもとであり、この知性をもたぬ才媛は野蛮人、原始人、非文化人と異らぬ。
 まことの知性あるものに悪妻はない。そして、知性ある女は、悪妻ではないが、常に亭主を苦しめ悩まし憎ませ、めつたに平安などは与へることがないだらう。
 苦しめ、そして、苦しむのだ。それが人間の当然な生活なのだから。然し、流血の惨は、どうかな? 平野君! あゝ、戦争は野蛮だ! 戦争犯罪人を検索しようよ。平野君!



底本:「坂口安吾全集 05」筑摩書房
   1998(平成10)年6月20日初版第1刷発行
底本の親本:「婦人文庫 第二巻第七号」
   1947(昭和22)年7月1日発行
初出:「婦人文庫 第二巻第七号」
   1947(昭和22)年7月1日発行
入力:tatsuki
校正:oterudon
2007年7月13日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(h
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