いから、天を翔《か》けるわけにも行かず、地上に於て巣をいとなみ、夫婦となり、姦淫するなかれ、とくる。それは無理だ。無理だから、苦しむ。あたりまへだ。かういふ無理を重ねながら、平安だつたら、その平安はニセモノで、間に合はせの安物にきまつてゐるのだ。だから、良妻などゝいふのは、ニセモノ、安物にすぎないのである。
 然し、しからば悪妻は良妻なりやといへば、必ずしもさうではない。知性なき悪妻は、これはほんとの悪妻だ。多情淫奔、たゞ動物の本能だけの悪妻は始末におへない。然し、それですら、その多情淫奔の性によつて魅力でもありうるので、そしてその故にミレンにひかれる人もあり、つまり悪妻といふものには一般的な型はない。もしも魅力によつて人の心をひくうちは、悪妻ではなく、良妻だ。いかに亭主を苦しめても、魅力によつて亭主の心を惹くうちは、良妻なのだらう。
 魅力のない女は、これはもう、決定的に悪妻なのである、男女といふ性の別が存在し、異性への思慕が人生の根幹をなしてゐるのに、異性に与へる魅力といふものを考へること、創案することを知らない女は、もしもそれが頭の悪さのせゐとすれば、この頭の悪さは問題の外だ。
 才媛といふタイプがある。数学ができるのだか、語学ができるのだか、物理学ができるのだか知らないが、人間性といふものへの省察に就てはゼロなのだ。つまり学問はあるかも知れぬが、知性がゼロだ。人間性の省察こそ、真実の教養のもとであり、この知性をもたぬ才媛は野蛮人、原始人、非文化人と異らぬ。
 まことの知性あるものに悪妻はない。そして、知性ある女は、悪妻ではないが、常に亭主を苦しめ悩まし憎ませ、めつたに平安などは与へることがないだらう。
 苦しめ、そして、苦しむのだ。それが人間の当然な生活なのだから。然し、流血の惨は、どうかな? 平野君! あゝ、戦争は野蛮だ! 戦争犯罪人を検索しようよ。平野君!



底本:「坂口安吾全集 05」筑摩書房
   1998(平成10)年6月20日初版第1刷発行
底本の親本:「婦人文庫 第二巻第七号」
   1947(昭和22)年7月1日発行
初出:「婦人文庫 第二巻第七号」
   1947(昭和22)年7月1日発行
入力:tatsuki
校正:oterudon
2007年7月13日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(h
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