何よりそれが印象に残っています。
 科学者はみなそうあるべきだとお考えかも知れませんが、否、否、科学の独創的な仕事は、むしろ傾斜する思考から生れるのが自然ではありませんかね。タンテイはそうじゃないね。限界がハッキリ与えられている。独創はないのだ。タンテイに独創はありません。臨床医と同じようなものだ。ただ傾斜の少い正確な眼が必要なだけだ。新聞の報道という任務にも、この眼が基本でなければならないと思うのだが、およそ日本の新聞には、この眼がありませんね。太田成子さんと同じようにヤブニラミであるか、甚しく傾斜したがる眼ですね。いつも事実を自分の方から逃している眼ですよ。眼グスリだけでは治らない病気だね。報道に独創なんてことはあるべきじゃアないから、傾斜してはいけません。

          ★

 タンテイの推理と科学の独創は違うといったが、科学もある点まではタンテイと類似した推理ですね。私はそれをこの三月、常磐線の汽車の中でイヤというほど思い知らされました。
 文藝春秋へ連載している安吾日本地理というものの夏のシーズンに「只見川ダム」という予定をたてておいたのである。予定をたてたときは威勢がよかったが、少くとも一週間は人なき山中を彷徨しなければならないのだからね。小生もすでに年老いたよ。先月その日本地理で仙台へ行き、青葉城という城跡の山へ登っただけでノビたのさ。
「もう、只見川はやめた!」
 私は青葉城本丸跡で文春記者にかく断乎として宣言したのである。さらに塩竈神社というところの石段を二百段ほど登ったときにも、
「もう山登りはコンリンザイやらんよ」
 と、かたく念を押したのである。
 ところが妙なもんだね。仙台から帰りの常磐線にのると、中谷宇吉郎先生と同じ箱に乗り合したのである。
 迂遠な話だが、私は中谷先生がダムの権威で、各地のダム建設に最高顧問として実務にたずさわっておられることを知らなかった。只見川もむろんのことである。いま上京するのも、信濃川ダムへ行くためで、それが終って四月はじめに只見川へ行かれるところでもあった。
「四月の只見川は素人のあなたには登山はムリですね」
 と、先生は青葉城で音をあげた私をかるくひやかしたが、
「しかし、只見川はぜひ一見して下さい。いろいろの問題がありますよ。七月にまた行く予定ですから、そのときに一しょに行きましょう。アイソトープを
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