るよ、だけど、払はなくともいゝといふものを払つたらバカぢやないの」
 御尤も。まつたく御説の通りである。警官に狩りたてられトラックにつまれて病院へ投げこまれるのだから又特別で、お金を払ふ気にならないのも当然だが、定まる家がないといふところに、見栄を張る支払ひの観念などが失はれてゐる理由もあるに違ひない。
 彼女らは、束縛されるところがない代りに、徹底した個人主義者で、又、ケチンボであるらしい。買ひ物はお客にしてもらうもの、自分のお金を他人のために使ふといふことなぞは、考へたこともない様子だ。そのくせ自分は人のお金を使はせて生活してをり、又それだから、自分は人のためにお金を使ふことがバカらしくなるのかも知れない。
 姐御と配下といつたつて、別に仁義、義理、人情、いたはりが有るわけぢやない。便宜の機関といふだけのこと、天地いたるところどこでも開業できる、さういふ自由さと強みはおのづから浸みでゝ、彼女らに徹底した個人主義の性格を与へてゐるのだ。
 精神的には健康で明るいから、私は娼家の娼婦とパンパンとどちらをなくした方がいゝかときかれゝば、娼家の娼婦は先づなくしろと言ひたい。娼家の娼婦は畸形児だ。肉体上にも精神的にも畸形不具的だ。パンパンは自然人であるが、畸形ぢやない。
 然しパンパン諸嬢は元は女学校の優等生だが、自然人への変化と同時に知性の方も原始人的退化をとげて、自然人たることに知性の裏附けを与へ、知性人たる自然人に生育してゐる「愛すべき人」は一人もゐないやうである。彼女らが知性人としての自然人となるとき、日本は真に文化国となるのであらう。パンパンは一国の文化のシムボルである。



底本:「坂口安吾全集 05」筑摩書房
   1998(平成10)年6月20日初版第1刷発行
底本の親本:「オール読物 第二巻第八号」
   1947(昭和22)年10月1日発行
初出:「オール読物 第二巻第八号」
   1947(昭和22)年10月1日発行
入力:tatsuki
校正:noriko saito
2009年1月26日作成
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