どういうわけでしょうか」
「今は会社に働いていますが、会社の仕事は私の性に合わないのです。こんな仕事が私の性に最もかなっていることを痛感しているのです。このお店の感じが、特に好感がもてたし、それに、趣味の点で、このお店と私とに一致するものがあるんです。古い日本をエキゾチシズムの中で新しく生かして行く点です。それはヤリガイのある、いえ、是非とも、やりとげなければならぬことなんです。とても共鳴するものがありますから、会社のことも捨て、女優のことも捨て、このお店に働いてみたいと思ったのです」
「では、あなたは、女優さんですか」
「いゝえ、然し、女優の試験を受けたんです。映画女優とは限りません。私、声楽家、むしろ、オペラね、是非やりたいと考えたこともあるんですけど、マダム・バタフライ、あれを近代日本女性の性格で表現してみたいと思ったんです」
「で、オペラの方も、試験を受けたんですか」
「いえ、試験は無意味なんです。審査員は無能、旧式ですわね。新時代のうごき、新しいアトモスフェア、知性的新人ですわね、そういった理解はゼロに等しいと思ったんです。でも、然し、陳腐ね。理解せられざる芸術家の嘆き、それは過去のものね。ですから、私、それにこだわらないのです」
「すると、声楽は自信がおありですね。いえ、つまり、流行歌なんかじゃなく、あのソプラノですか、アヽアヽアヽブルブルウ、ふるえてキキキーッと高いの」
「無論」
「ハア、そうですか。それは、然し、惜しいですね。ワタシなどはこれだけの人間ですから、これだけですが、せっかく天分ある御方は、やっぱり、天分を生かした方が」
と、彼の頭ににわかに一つの企らみが浮かびあがった。
「この店に働いていたゞければ、それはワタシの光栄なんですが、然しです、御覧のように当店の性質と致しまして、お客様の九分九厘まで御婦人相手のものですから、給仕人も同性の方よりは男の方がよかろうと、三人の大学生を使っているわけなんです。で、当店では、むしろ御婦人の使用人を遠ざける必要があるわけで、残念ですが、やむを得ない次第です。然しですね。ワタシに一つ心当りがあるのです。ワタシの親友の千鳥波という以前相撲だった男が、この町内で、同じ名のトンカツ屋、つまりトンカツで酒をのむ店をやってるのですが、この男が、目下、美人女給をもとめているのです」
「私、ドリンクの店はキライです」
「いえ、ごもっともです。然し、これにはワケがあるんですよ。千鳥波はまだ独身なんですが」
「失礼ね。私が結婚したいとでも考えてるのかしら。おかしいわ。全然、無理解ね。軽蔑するわね」
「左《さ》にあらず、左にあらず。はやまってはイケません。一言たゞ独身であるという事実をお伝えしたにすぎません。話の要点はそんなところにはないのですよ。このトンカツ屋は相撲時代からのヒイキがついておりますから、常連のツブがそろっていて、このへんの飲み屋では、最高級の人種が集っているのですよ。この店へ、毎晩ほとんど九時ごろに必ず現れる三人づれの客があるのです。四十から四十四五の、オーさん、ヤアさん、ツウさんと呼びあっている人品のよい紳士で、一人が商事社の社長、一人が問屋の主人、一人が工場主と表向きは称していますが、実は一人が映画会社の支配人、一人が有名な作曲家、一人がプロジューサーなんですよ」
効果はテキメン、娘の顔がひきしまった。
「この三人は映画音楽演芸界の最高幹部級のパリパリなんですよ。ニューフェース募集と云っても、こんな時あつまるのは大概は落第品で、彼らは常に街頭に隠れた新人を探しているものです。特に唄のうたえるニューフェース、これこそ彼らの熱烈にもとめてやまぬ珍品ですよ。飲食店のたゞの給仕女になるなんて、天分ある御方が、それは全然つまらないことですよ。いかゞですか。ひとつ、何くわぬ顔、この店の給仕女に身をやつして、チャンスを狙っては」
「そうね。それもちょッとしたスキャンダルね。意味なきにしもあらずね。やってみても悪くないと考えるわね」
「えゝ、そう、そう。先方の御三方がよろこびますよ。世に稀なるもの、即ち天才です。実はです。以前にも一人、その狙いで千鳥波の給仕女に身をやつした婦人がありましたです。この人は天分がなかった。当人も自信がないんですよ。それで、なんです。色仕掛で仕事を運ぼうと企んだわけですが、これこそすでに陳腐です。あの御身分の方々ともなると、色仕掛でスタアを狙うヤツ、これぐらいどこにもこゝにもあるという鼻についたシロモノはないんですよ。食傷して、ウンザリしきっているのです。ですから、真実天分ある者は、率直に天分をヒレキすれば足るのです。むしろ御機嫌などとらない方がよろしいです。ですから、御三方が現れたら、サービスなどほったらかして、何くわぬ顔、唄をうたいなさい。例のソプラノです。変にニコヤカな素振など見せると、いかにも物欲しそうにとられますから、できるだけムッツリと、仏頂ヅラを見せておいて、然し、たくまぬ自然のていで、天分のある限りを御披露あそばすことです」
オーさん、ヤアさん、ツウさんという三人は言うまでもなく表向き名乗っているだけの人間で、芸界などには無関係な人たちであった。あべこべに、見たところ、ちょッと新しい教養もなきにしもあらずと見える紳士然たる風采であるが、およそ旧式の趣味をもち、アアアヽブルブルというソプラノほど骨身に徹してキライなものはないという名題の国粋グループであった。
ソプラノ嬢が、では、悪くはないと考えるわね、と言うものだから、じゃア、一とッ走り、千鳥波とかけあってきます、ちょッと待ってゝ下さい、とトンカツ屋へかけつけて、
「今日は凄い吉報をもってきたぜ。うちへくるお客の一人に上品でチャーミングなお嬢さんがいるんだが、然るべき家柄の人で、まア当節ハヤリの没落名家のお嬢さんだ。目下は事務員をしているが、事務員が性に合わないから、ワタシの店で働きたいと申しこまれたわけだが、ウチは女相手のショウバイだから女給仕は使えない。残念だけれども仕方がない。このトンカツ屋じゃアお嬢さんに気の毒なんだが、知らないウチへとられちゃ尚くやしいから、口説き落して、ウンと云わせたんだ。ドリンクの店はイヤだと云ってたんだぜ。なんしろ目がさめるように美しくって、モダンで、上品で、チャーミングで、パリパリしたところがあって、こんな月並の一杯飲み屋じゃ、可哀そうだが、友情のためには女ばかりをいたわってもいられないから、心を鬼にしてウンと云わせたんだ」
「いやにモッタイづけるない。それだけ御念の入った言葉数で女のマズサの見当がつかあ。手がいるのだから仕方がない。化けものでなきゃ使ってやるから連れてこい」
「一目見て目をまわすなよ。この町内じゃア男のニューフェースといえば誰の目にもワタシと相場がきまっているが、女の方じゃア、花柳地の姐さんをひっくるめても、ニューフェースはこの人だ。趣味もよく、学もある人だから、丁重にしな」
と、ソプラノ嬢をひきわたした。
★
その晩の九時がきて、例の御三方が現れた。
御三方はこの店の飛びきり大切のオトクイである。だから、前もって常連について予備知識を与えて、
「いゝかい。その常連の中でも、毎晩必ず九時に現れる三人の人、オーさん、ヤアさん、ツウさん、この三人が超特別のお客なんだよ。そのうちのヤアさんは頭のハゲを気にしているから、まちがってもハゲの話をしちゃいけないぜ。オーさんは酔っ払うと清元の三千歳《みちとせ》を語る癖があるんだが、その時は渋いですネ、と云わなきゃならない。水商売は本当のことを言っちゃならないものなんだが、当節の芸者はいっぱし批評家づらアしてお客をやりこめて、しくじりやがる。ワタシたち相撲の方が、客あつかいの礼儀というものを心得ていたものだ。ツウさんは腸が悪いから五分に一発ぐらいずつ大きな屁をたれる。そのとき笑っちゃいけないよ。屁なんてえものは、なんにもおかしいものじゃアないや。自分でたれてみりゃ分らアな。屁をたれるな、と気付いたトタンに、ガチャ/\それとなく皿など重ねて音をたてゝあげるだけのカンと思いやりが閃くようになりゃ、奥ゆかしいというものだ。この店は味を売る店だから、余分の愛嬌はいらないことだが、タシナミと明るさがなきゃいけない」
と訓辞を与えておく。
暮方から客扱いを見ていると、全然ズブの素人で、型に外れているのが面白い。普通の素人娘のうちでも、この娘などは特別立居振舞の投げやりで粗暴な方であるらしい。然し、女のやさしさやタシナミに欠けるようでありながら、巧まざる色気がこもっていて、申さばシンちゃんの言う如くチャーミングなところがある。だから、粗暴というよりも、奔放自在という感じをうけ、同時に、大いに初々しい。全然笑顔を忘れた仏頂ヅラであるが、これも亦、初々しいという感じで、人に不愉快は与えない。十人並より少しはマシなキリョウであった。思いのほかに上乗な感じであるから、これは案外ホリダシモノだと内心よろこんでいる。
いよいよ九時がきて、御三方の登場となる。
「えい、いらッしゃい」
と特別の声でむかえて、女の方へ目顔で知らせる。
「今度きた女中です。ズブの素人で、客扱いには馴れませんから、やることが不作法ですが、ウチのお客さん方はみなさん酒と料理で満足して下さる方ばかりですから、かえって、まア、愛嬌ものかも知れません。ワタシ同様、ゴヒイキにおたのうしやす」
そう紹介してやっているのに、挨拶に近づいてくる風もない。不馴れなのだから、ほったらかしておいてやれ、と千鳥波は気にかけず、
「おい、お銚子。お酒をつけるんだよ」
自分は料理をつくりながら、女の方をチョイ/\見るが、隅の方に思い決したタタズマイで一点を睨んでいるばかり、お銚子に酒をつぐことが念頭にもない様子である。
ハテナ、変ったことが起ったのかな、ふりむいても、客席の方には別状がないから、ウッカリすると、こやつ、テンカンもちの発作を起しやがったんじゃないか、相撲の客席などでも、年に三四度テンカンもちのアブクをふくのにぶつかるものだが、酒興にむくというものじゃない。
「おい、お銚子をつけないか。なにをボンヤリしてるんだ」
とたんに女がキャーッという勢一ぱいの悲鳴をあげた。
千鳥波ほどの豪の者でも飛びあがるほど驚いたが、御三方の心気顛倒、浮腰となり、とたんにツウさんは六ツ七ツつゞけさまに異常な大物をおもらしになる。
大音響のハサミウチに、千鳥波もふと気がついて、ハハア、さては先刻の訓辞が骨身にしみて、生娘の一念、ジッと凝らしてツウさんの気息をうかゞい、間一髪に見破って、悲鳴をあげたのかも知れない。とっさのことで手もとに皿がないから悲鳴をあげたと思えばイジラシイことでもあるが、待てしばし、今来たばかりの初見参の御三方のどれがツウさんやら知る筈のないことである。
千鳥波は女の初々しさ、ウブな色気にひと方ならずチャームされるところがあったから、一度はこんな風にこれも女の初々しさによるせいだなどゝ思ってみたが、そうじゃない。
その悲鳴はいっかな終らぬ。終らぬばかりか、フシがある。つまりこれは唄である。ようやくそれが分ってきた。
ふとした気分で鼻唄というのではない。全力的なものである。必死なものだ。おまけに肩をすくめてお乳のあたりをだくようにしたり、その手をジリ/\と朝顔型にひらいてみたり、そのたびに、十人足らずで満員になる小さな店のことだから、コマクも頭もハレツしそうになり、金切声のふるえにつれて、背中からドリルで突き刺された思いになる。
三人の旦那の蒼ざめはてた顔を見れば、忽ち思い当ることがある。金切声の声楽に亡国の悲劇を読みとる三人の旦那であった。その御三方の登場を合図に唐突と亡国の悲歌をかなでる、もとよりそこにはさゝの枝主人の指図があるにきまっている。
そこで千鳥波は物をも言わず猛然と襲いかゝってソプラノ嬢をぶらさげて奥の座敷へ運びこみ、パチパチパチと二十ばかりひッぱたく。六尺三十貫の巨漢だから、
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