けるんだよ」
 自分は料理をつくりながら、女の方をチョイ/\見るが、隅の方に思い決したタタズマイで一点を睨んでいるばかり、お銚子に酒をつぐことが念頭にもない様子である。
 ハテナ、変ったことが起ったのかな、ふりむいても、客席の方には別状がないから、ウッカリすると、こやつ、テンカンもちの発作を起しやがったんじゃないか、相撲の客席などでも、年に三四度テンカンもちのアブクをふくのにぶつかるものだが、酒興にむくというものじゃない。
「おい、お銚子をつけないか。なにをボンヤリしてるんだ」
 とたんに女がキャーッという勢一ぱいの悲鳴をあげた。
 千鳥波ほどの豪の者でも飛びあがるほど驚いたが、御三方の心気顛倒、浮腰となり、とたんにツウさんは六ツ七ツつゞけさまに異常な大物をおもらしになる。
 大音響のハサミウチに、千鳥波もふと気がついて、ハハア、さては先刻の訓辞が骨身にしみて、生娘の一念、ジッと凝らしてツウさんの気息をうかゞい、間一髪に見破って、悲鳴をあげたのかも知れない。とっさのことで手もとに皿がないから悲鳴をあげたと思えばイジラシイことでもあるが、待てしばし、今来たばかりの初見参の御三方のどれがツウさんやら知る筈のないことである。
 千鳥波は女の初々しさ、ウブな色気にひと方ならずチャームされるところがあったから、一度はこんな風にこれも女の初々しさによるせいだなどゝ思ってみたが、そうじゃない。
 その悲鳴はいっかな終らぬ。終らぬばかりか、フシがある。つまりこれは唄である。ようやくそれが分ってきた。
 ふとした気分で鼻唄というのではない。全力的なものである。必死なものだ。おまけに肩をすくめてお乳のあたりをだくようにしたり、その手をジリ/\と朝顔型にひらいてみたり、そのたびに、十人足らずで満員になる小さな店のことだから、コマクも頭もハレツしそうになり、金切声のふるえにつれて、背中からドリルで突き刺された思いになる。
 三人の旦那の蒼ざめはてた顔を見れば、忽ち思い当ることがある。金切声の声楽に亡国の悲劇を読みとる三人の旦那であった。その御三方の登場を合図に唐突と亡国の悲歌をかなでる、もとよりそこにはさゝの枝主人の指図があるにきまっている。
 そこで千鳥波は物をも言わず猛然と襲いかゝってソプラノ嬢をぶらさげて奥の座敷へ運びこみ、パチパチパチと二十ばかりひッぱたく。六尺三十貫の巨漢だから、
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