のつもりで話しかけて、居直られるようなことになりがちだから、衣子はヤス子を煙たがり、親しみをいだいていなかった。
「ヤス子さんも、可愛げのない人ね。あんなに居直るみたいに談じこまれちゃ、旦那様もオチオチくつろげやしないわね」
 と、衣子は私を意地悪くジロリと見て、言う。
「それは、あなた、話というものは、ピントが合わなきゃ、仕様がない。ヤス子さんは、奥さんとはピントが合わないかも知れないけれども、ピントの合う人にとっては、あんな可愛げのある御婦人もメッタにありゃしませんよ」
「三船さんはピントが合うつもり? でも、ヤス子さんは、ピントが合わなくて、お困りの御様子ね」
 すると美代子のチンピラまでが、私にジロリと一べつをくれて、
「社長と社員でなかったら、おそばへ寄りつくこともできない筈ね。ヤミ屋の御時世よ。インフレの終ると共に、誰かさんの三日天下も終りを告げます」
 恋は曲者《くせもの》である。あれほど崇拝の姉の君を、美代子も内々煙たがるようになっているのだ。けれども、それを意識せず、あげて私への侮蔑となって表れてくる。
 ところが、この恋が、却々うまく行かないのだ。
 大浦種則は美代子さんだけが欲しい、ビタ一文欲しいわけではないと仰有る。
 ところが、兄の博士が、ドッコイ、そうは勝手にさせられませぬ、と膝を乗り入れてきた。当節、学者の生活ほど惨めなものはない。医学部教授はまだしもヨロクがあるとは云っても、タカの知れたもの、酒タバコの段ではなく、必要のカロリーも充分にはとれぬ。本も買えぬ。火鉢の炭のカケラにまで御不自由のていたらくで、かねて多少の貯えなどもインフレと共に二束三文に下落して、明日の希望もないようなものだ。
 弟の種則には分けてやる一文の財産もなく、礼服一着こしらえてやれぬ。花嫁の然るべき持参金が頼みの綱であるから、富田病院という名題の長者の一人娘に持参金もないような、そんなベラボーな縁談には賛成するわけに参らぬ、と仰有る。もとより、美代子の思いが充分以上に種則に傾いたのを見越した上で、潮時を見はからって、膝を乗り入れてきたのである。
 だいたいが、婚姻政策というものは、政治家や官僚以上に、学者に於て甚しいものだそうであるが、大浦博士に至っては、結婚と持参金、あたりまえときめてかゝった殿様ぶり、天下泰平、オーヨーなものだ。
 かねて自分一個の赤誠をヒレキする種則のことであるし、新憲法と称し、家の解体、個人の自由時代、兄博士の横槍もヘチマもある筈がないと思うと、あにはからんや、脱兎の如き恋の情熱児が、にわかにハニカンで、ハムレットになった。
 結婚すれば、兄の家も出なければならぬ。自分はまだ研究室の副手にすぎず、独立して生計を営む自信がないから、兄の援助を断たれると、直ちに生活ができなくなる、純情や理想の問題じゃなく、現実の問題だから、と云って、暗然として面を伏せ、天を仰いで長大息、サメザメと暗涙をしぼらんばかりの御有様とある。
 あげくに美代子をそゝのかして、家出をした。
 十日あまりして、兄貴のところへ旅館の支払いの泣き手紙が来て、大浦博士が箱根へ急行して取り押えたという結末であるが、戻ってくる、こうなった以上は結婚を、という、衣子もその気持になったが、ドッコイ、大浦博士が居直った。是が非でも、財産の半分の持参金がなければ、結婚はさせられない、というのであった。動産、不動産、病院の諸設備に至るまで財産に見積って、その全額のキッチリ半分、ちゃんと金額を明示して、これだけの持参金がなければいかぬ、という。税務署の査定よりもはるかに厳しく、自分勝手で、そんな持参金を持ち出されては、病院の運営もできない。
「これは、あなた、サギですよ。まるで、男のツツモタセみたいなものだな。もちろん、種則も、兄貴の博士とグルですとも。よろしい。見ていてごらんなさい。私が泥を吐かせてみせます」
 と、種則に来てもらい、衣子と私の面前にすえて、さて、大浦君、と、私が訊問にかゝろうとすると、にわかに衣子の様子が変って、当の敵は私であるかのよう、青白く冴えた面持、キッと私を見つめて、
「この話は当家の恥ですから、内輪だけで話し合いますから、三船さんは御ひきとり下さいね」
 女中を呼びよせて、
「三船さんが、お帰りです」
 有無を言わさず、宣告を下す。ここまで踏みつけられては、私もたゞは退《ひ》き下れぬ。
 なるほど、私が種則をよんで泥を吐かせましょう、と持ちかけた時に、衣子はすゝんで賛成するようなところは無かったかも知れない。けれども、一言といえども反対の言葉は述べなかったのだから、そして、私が電話で種則を呼んでいるのを黙って見過していたのだから、これを賛成と見て怪しからぬところは有り得ない。
 ところが、種則が現れる。とつぜんガラリと、こう、くるのだから、私もにわかにムクレ上って、
「ハア、そうですか。然し、御当家の恥というのを、一から百まで承知している私ですよ。これから先をお隠しになったところで、頭かくして何とか云うイロハガルタの文句みたいじゃありませんか。私はたゞ御当家のために良かれと」
 皆まで言わせず、
「イロハガルタの文句で相済みませんことね。三船さんはカン違いしていらっしゃるわね。当家と大浦家の関係は格別のものなんです。お分りになりませんこと。親戚以上の大切なもの。当家と三船家の比較にならない格別のものですのよ。ですから」
 と言葉を切って、凜然たる一睨み、こうなっては尻尾をまいて引退るほかに仕方がない。芸人は引ッ込み方が大切なもので、気のきいたところをピリリとひとつ、それだけのユトリがあらばこそ、尻尾をまいた負け犬よりもショボ/\と、その哀れさ。
 それでも廊下を通り玄関へきた時には、急にムクムクとふてくされて、河内山の百分の一ぐらいの悪度胸で居直り、
「オヨシちゃん。私を暫時、女中部屋で休ませて下さいな」
「アラ、そんな」
 鼻薬を握らせて、
「お酒でも、買ってきて飲ませてくれると、オヨシちゃんも、女中なんかはさせておかないと言う人がアチラコチラから現れてくるだろうがな」
 と、女中を相手に、からかいながら、待っている。
 種則の帰るを待って、茶の間へヌッと推参、もとより、御不興は覚悟の上である。衣子はイマイマしげに、また、いかにもウルサげに、ジロリと一べつ、顔をそむけて、喋らない。
「いかなるテンマツとなりましたか」
「どんなテンマツがお気に召すのですか」
 ハッタと、にらむ。私はビックリ、すくみながら、その色気に目を打たれて、ひそかに満足する。
「当家と大浦家の仲たがいが、血の雨でも降ることになったら、御満足なんですか。ゴセッカイに、チョロ/\、なに企んでいるのです」
「チョロ/\何を企むったって、屋根裏の鼠がひそかにカキモチを狙うんじゃあるまいし、それは、奥さん、あんまりですよ。私だって、一人前の男、四十歳、多少の分別はありますよ。失礼ながら温室育ちの奥さんに比べりゃ、数等世情に通じているからこそ、見るに見かねて、いえ、やむにやまれぬオセッカイ。ほんとですとも。毒殺ぐらい覚悟の上で、いえ、失言ではありません。坊主と医者てえものは気が許せませんや。年中扱いなれていやがるから、トンマな赤鬼よりも冷静なもんですよ。私は何も企みません。大浦一家が何事か企んでいると申上げているにすぎません。私の場合は必死の善意あるのみです」
 衣子はプイと横を向いて答えない。
 その言葉や様子から、私の推量と同じような結論を衣子もつかむに至ったのだろう。私はそう見てとって安心したが、図にのって、こまかくせゝくるとゴカンムリをまげさせるばかり、万事は時期というものがある。
「私の公明正大な心事ばかりはお察し下さい。私のカングリがあさはかな邪推に終りました折は、見事に切腹して、御当家ならびに大浦博士にお詫びします。私は事をブッコワそうとしているわけじゃアありませんよ。事の円満なる解決に就て不肖の微力をおもとめならば、何を措いても犬馬の労をつくす所存、又、その労苦を身の光栄に感じているものであります」
 なぞと、たゞそれとなく脈をつないでおくだけで、その日はおいとまを告げた。

          ★

 あの夜、私は衣子にていよく追っ払われて、大いにヒガミ、腹を立てた。私の至らざるところで、人の気持というものが分らないのである。つまり私は一ぱし人間通ぶって、あれこれとオセッカイをやるくせに、実は一人のみこみ、その上、何かというとヒガンだり腹を立てたり、人の気持を察してやることができないのだ。
 衣子にしてみれば、娘の一生の大事であるから、真剣であり、思い決し、悲痛なものがある筈だ。だから私のオセッカイを軽くかわして、私を追払い、種則と膝ヅメ談判に及んだが、私なんかゞ三百代言よろしく一寸見《ちょっとみ》だけ凄んでみせるのと違って、猛烈に急所をついて食い下ったらしい。
 いったいが、女というものは本来そうある筈で、必死の大事となると、人まかせでは安心できず、喉笛に食いつくぐらいの意気込みで、相手怖れず乗《のり》だす性質のものである。それぐらいのことは、かねて知っている筈ながら、私はバカだから、ヒガンだり、スネたりするのである。
 新憲法の今日、一人前の男が、兄貴の気持がどうだからと云って、自分の思いを諦めるなどゝは奇妙な話、世間では、新憲法だというので、若い者が仕放題、親を泣かせている御時世である。これは大方、兄弟グルで仕組んだ逃げ口上でしょう、と、衣子に問いつめられて、種則の返答が、
「いゝえ、然し一人前の男だなんて、とんでもないことですよ。大学の副手の手当なんて、配給のタバコを買うにも足りないのです。全然、生活無能者なんです」
「ですから生活できるだけの持参金は持たせてやりますし、又、月々の面倒も見るぐらいのことは致しますと申したではありませんか。無能力のバカには、それでも、多すぎますぐらいでしょう。全財産の半分とは、あなた方兄弟の肚の中は盗人《ぬすっと》根性というものです」
 ひどいことを言う。女がドタン場で居直ると、意地悪く急所をつかんで、最大級の汚らしさで解説して下さるものだ。私のような小悪党は敵の弱所に同感もあることだから、こうは汚らしく攻めたてるわけには参らない。
 そのとき、種則先生、こう答えたということだ。
「奥さんは僕の立場、理解しておられませんね。僕は兄貴と仲違いしては、生涯破滅、浮ばれなくなるのです。僕は私大の副手ですが、これも兄貴のせいで、僕の頭は特別ダメなんです。中学のとき、数学、物理化学は丁、英語も丁、漢文と国語が丙ですが、それでも兄貴のおかげで大学へ入学もでき、副手になって、ともかく医者らしくさせてもらっているのです。医者はヒキと要領のものなんですよ。僕はそれに、愛想がよくって患者をうまくあしらうでしょう、これはコツですね。医局のツキアイをうまくやってボロのバレないうちは、患者にウケがいゝんですよ。まア、相当な、若手先生なんです。これも兄貴のおかげ、それに僕が要領を心得て、いかにも教授、先輩、同輩に好かれるように、立廻っているのです。これは、マア、僕の才能ですね。僕は人に怒られるようなことは、しないんですよ。ですけれど、この才能が物を言うのも、バックに兄貴の威光があるからで、これがなくちゃア、誤診ばっかりやらかしているものですから、本当は看護婦だって、肚の中じゃア、なめきっているわけですものね。だから、兄貴に見すてられちゃ、一気に看護婦にまで見捨てられちゃうでしょう。僕は一生、浮ぶ瀬がなくなるわけなんです」
 数学、物理化学が丁、英語も丁、漢文と国語が丙、よくぞ申したり、アッパレな奴で、どんなに仏頂ヅラで怒っていても、たいがい腰がくだけてしまう。
 衣子もさすがにウンザリして、完璧な低能なのね、とからかうと、えゝ、まア、生れつきですからねえ、と答えたそうで、色事のモメゴトのあげくの力演は、概してカケアイ漫才の要領になるものかも知れぬ。これは私も身に覚えのあるところである。
 然し、衣子が種則をハッタと睨ん
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