「何が当家ですか。当家の娘が、笑わせるよ。まさしく、パンパンじゃないか。大浦種則みたいなウスノロにだまされて、家出をして、金品をまきあげられて、別の男と関係ができて、まさしくパンパンさ。病気になって、追んだされなきゃア、半年あとには、立派にパンパンになって、どこかの辻にたゝずんでいたに極ってらア」
「お帰り下さい。出て行きなさい。そして、もう、二度と当家のシキイをまたいではいけません。ヤミ屋、サギ師、イカサマ師のブンザイで、上流家庭へ立入るなどゝ、身の程も知らず、さがりなさい。出て行きなさい」
 最後であった。
 その裏に、一つのワケがある筈だ。久保博士の出現である。女のハラワタの汚さよ。男はたとえ人を殺し、人をだまし、盗みをしても、このように汚らしく人を裏切り傷けるものではない。女の最後の底なるものゝ醜悪さ。醜悪なるものゝ最も醜悪なるものである。
 私は口惜しさ、泣くにも泣かれぬ。
 この恨みは、必ず、はらす。私は、誓った。見事、美代子をパンパンにおとしてみせる。パンパンの如くに、私が美代子を弄んでみせる。
 その二日あと、美代子を見舞ったヤス子が、衣子にことづかったからと云って、ハンケチに包んだ私の入れ歯を持ってきた。
 衣子の憎しみと嘲弄がそこにこもっているのである。私はヤス子に羞しかった。
「ねえ、ヤス子さん、人の怒りというものは、すさまじいものですよ。私は怒りましたよ。そして、喚きましたよ。然し、ですよ。喚いたと云ったって、歌唄いほどデッカク声をはりあげるわけじゃなし、ちょッとばかり声高になったというだけで、別に飛び上りもしなけりゃ、腕をふりまわしもしないのです。それでいて、どうですか。喚くうちに、私は入れ歯を吹きとばしたのです。喚き声のでるのと一しょに、とびだして、なくなったのですよ。嘘のようだが、本当なのですから、不思議ではありませんか。人の怒りというものは、つまり、気魄というようなものに、何か電気の動力みたいな運動力があるんじゃないかな」
 ヤス子の顔に、あたゝかい笑いがこもった。こんなことは、この時までは殆んど、なかったことであった。そして、しばらく、何かをあたゝかく抱いているような様子であったが、
「この入れ歯、病院の奥様が私にお渡しの時は、汚い雑巾につつんでありましたのです。その雑巾で拾いあげたまゝを、お渡しになったのですわ」
 なるほど、たゞは入れ歯を返してよこす筈はない。
 ヤス子の笑顔のあたゝかさは、衣子の醜怪な憎しみに対して私へ寄せるいたわりのシルシであろうか。私はヤス子に、こんなにあたゝかく遇せられたことはなかった。怒りも羞らいも、私は忘れることができた。
「すると、あなたが、ハンケチに包んで下さったのですね。なんて、幸福なんだろう」
 私はハンケチを押しいたゞいた。すると、胸がつまり、にわかに涙があふれでゝくるのである。私は押しいたゞいたまゝハンケチを目に押し当てゝごまかしたが、涙はいつまでもとまらず、顔を膝に当てゝ起すことができなかった。

          ★

 私が美代子を誘拐したのは、それから二ヶ月ほど後のことであった。
 私はヤス子の名を用いて美代子をよびだし、会員組織のホールへ案内して、今にヤス子がくる筈だからと、飲んで踊って酔わせておいて、じゃア、こゝのあとで、御飯をたべる約束だから、そっちで待っているのだろうと、さらに飲み屋へ案内して泥酔させ、前後不覚の美代子を待合へつれこんで、衣子と寝たその部屋で、私はかねての思いをとげた。
 私という奴がどんなバカだか、すでに皆さん御承知の筈だ。
 私は結果の怖しさを知りながら、本能的な何かに惹かれて、すでに事をやり終っているのである。
 私はヤス子に恋いこがれ、あこがれ、祈り、狂っているのである。そのヤス子の名をかたり、ヤス子の慈しむ少女をさらって暴行する、ヤス子は怒り、蔑み、私を捨てゝ去るであろう。
 私はヤス子に捨てられる日の不安のために、日夜を問わず悩み狂っているのである。その不安と怖れにくらべれば、美代子などは何物でもない。魅力もさしたるものではなく、衣子への復讐の誓いと云っても、それも、今は、すでにさしたるものではなかった。
 そのくせ、思いたつ。熱心に計画する。私は緊張し、図太くなり、そして、私の目の鉛色に光りだすのが自分にも分るように思われる。メンミツに、ジンソクに、着々と、私はすでに実行しているのであった。
 オロカである。オロカ。オロカ。ああ! オロカ。オロカモノよ。
 すでに、すべては、破滅したと思った。
 どうして再びヤス子の顔を見る勇気があろう。
 私は美代子と、せめて最後の悲しい旅にでようと思った。
 美代子は、まるで、白痴であった。怒り、呪い、蔑んでも、私に従わざるを得ないのである。再三の罪の怖れのために、
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