そちらにも、ちょッとぐらいは腹を立てゝもらいたいものだ。あげくに私がドジをふんでも、私だって、たまにはドジをふんでも、意地わるをしてみたいものだ。
衣子がキリキリ柳眉をさかだてる。ハッタと私を睨みすくめる。ジロリと軽蔑の極をあそばす。それぐらいは、覚悟の上だ。
と、あにはからんや、柳眉をさかだてる段ではなく、ちょッとマツ毛をパチパチさせるぐらいのことがあったと思うと、ニッコリと、いと爽やかに私をふりむいて、
「あなた、裏口営業というものに私をつれて行ってちょうだいよ。私、まだ、インフレの裏側とやら、浮浪児もパンパンも裏口営業も見たことがないわ」
「何を言ってますか。当病院がインフレ街道の一親分じゃありませんか」
私はとっさに慌てふためいて、胸がわくわく、心ウキウキというヤツ、衣子の次なる言葉が怖ろしい、何やらワケの分らぬ早業で、心にもないウワズッタ返事をする。
「お巡りさんにつかまって、留置場へ投げこまれたら、却って、面白いことね」
なんでもない顔、私をうながしている。はからざる結果となった。
衣子は酔った。私が酔わせもしたのであるが、衣子がより以上に酔いたい気持でいたのであろう。とゞのつまり、私たちは待合をくゞった。
私という男を衣子が愛している筈はなかった。むしろ蔑んでいる筈だ。酔っ払った衣子は、美代子なんかどうでもいゝのよ。死のうと、パンパンになろうと、もう、かまわない。私は私よ、と言った。ヤケクソである。四囲の様々な情勢がこゝまで衣子を運んできた筋道は理解がつくが、その四囲の情勢というヤツが、私が細工を施したわけでなく、その一日の運びすら私がたくらんだものではない。
私はいさゝか浮かない思いもあった。誇りをもつことができなかったからだ。私は自分の工夫によって、こゝまで運んできたかったのだ。
私は三人のジロリの女をモノにしたいと専念する。愛するが為よりも、彼女らに蔑まれている為である。私の気持はもっぱら攻略というもので、その難険の故に意気あがり、心もはずむというものだ。いわば三人の御婦人は私の可愛いゝ敵であるが、汝の敵を愛せという、まさしく私は全心的にわが敵を愛しもし、尊敬したいとも考える。
私はわが敵を尊敬したいから、そのハシタナイ姿は見たくない。だから私は私の工夫によって事を運び、私の暴力によって征服したいものであり、彼女らの情慾などは見たくない。
私はどうやらアベコベに、衣子のヤケクソに便乗して待合の門をくゞったが、もとよりそれはここをセンドと私が必死に説得してのアゲクであるが、それとは別に、私はやっぱり淋しかった。
「遊びですよ、奥さん。大浦先生と違って、私は遊びということのほかに、何ひとつ下心はないのです。私はあなたに何一つ束縛は加えませんし、第一、いつまでも、あなたと云い、奥さんとよび、遊びは二人だけのこと、死に至るまで、これっぱかしも人に秘密をもらしは致しません。私はたゞ奥さんを心底から尊敬し、また愛し、まったく私は、下僕というものですよ」
酔い痴《し》れた衣子は、然し、もうこんな理窟は耳にきゝわけられなかった。
「どうなったって、いゝですよ。野たれ死んだって、私はいゝのよ」
と、衣子は廻らぬロレツで、私の肩にすがりついて、よろめいている。それはまだしもであるが、
「ねえ、あなた」
ふと酔眼に火のような情慾をこめて私を見る。もとより理知ある人間のものじゃなくて、キチガイのものだ。私はいさゝかふるえた。泣きたかった。やるせないものである。とは云いながら、私の胸は夢心持にワクワクしてもいるのである。
衣子はネマキに着代えずにドスンとフトンの上にころがったが、私が寄りそって横になると、さすがに、にわかにキリリとして、
「三船さん、ダメ」
「だって、あなた、今さら、そんな」
衣子は身もだえて、はゞみ、
「あなた、酔ってるのね」
「いゝえ、酔ってはおりません。私はひどく冷静なんです」
「私は酔ってる。ヨッパライよ。けれども、頭はハッキリしたわ。あなた、約束してくれる。旅行に行っちゃダメよ。私を一人にしちゃダメよ」
「えゝ、えゝ、御命令には断じて服従します。行きませんとも」
そして私は何とも悲しく、なつかしい思いになった。そして気違いのように衣子のウナジをだいて、接吻の雨をふらしたものだ。
私はながく眠らなかった。
衣子が眠ったのを見すますと私は起き上って、枕元に用意させた酒をのんだ。
何か茫々とした心の涯に、悲しさもあった。然し、あたゝかい愛情がこもっていた。いとしい女よ。私は時間について考えた。この女を口説きつゝあった時間、心に征服を決意してからの長い時間、その時間に起った様々の出来事ではなく、たゞその時間というものだけをボンヤリ意識しているだけだった。それは何か「なつかしさ」
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