無頼漢にも劣らない卑劣なことが、よくもまア、おできになったものですね。病院の出張診療ももはや御無用に願います」
 と云って、完全に縁がきれてしまった。この病院の大浦博士の出張診療は、この病院の看板であるから、衣子が博士とのクサレ縁をきることができなかった理由の一つは、その利害にもよるのである。博士はそれを見抜いているから、婆さん慾にからんでいると見くびっていた。腹を立てゝも、この病院の一枚カンバンはおろすわけにはゆくまい、とタカをくゝっている、そこをやられて驚いた。博士の方にしてみても、大学教授ではインフレがのりきれないから、これをやられると、糧道をおびやかされる。
 博士はひと先ず引きあげたが、あゝは云っても、あの病院の大切なカンバン、折れてこない筈はない、と、電話をかけて、ためしてみても、何日すぎても形勢の変る見込みがない。
 仕方がないから、私を訪れてきて、
「あの病院、僕がやめたら成立ちゃしないだろう。先方も、今さら後悔しても、行きがゝりの勢い、内々困っているのだろうから、三船君、君が行って、こだわらなくともよいから、安心させてやりたまえ」
「そうですか。先生の意志はお伝えしてもよろしいけれども、然し、どうも、実は、なんです、衣子さんから私が依頼をうけたこともあるのです」
「なんだい。じゃア、もう、先方から、僕に復帰してくれるように、君にたのんできたのかい」
「とんでもない。実はA大の久保博士ですなア。あの方は天下に先生と並び立つ隠れもないその道の大家、名医ですが、あの方に後任をたのんでくれとのことで、四五日まえ、ハッキリ話がきまって、今日あたりはもう出張診療されている筈なんですな。この先生を口説き落すには、私もずいぶん骨を折りましたよ」
 愕然、大浦博士は顔色を失い、私の言葉を、鉛色の目の玉でみつめている。
「君は、その依頼をうけて、僕に復帰をたのむ方がいゝというようなことを、言ってやらなかったのか」
「それは、もう、如才なく、申上げたものですとも。けれども、衣子さんが受付けやしませんや。物凄い見幕で、私の方が叱りとばされる始末ですもの」
 博士の目にランランたる憎しみの光がこもって、
「久保という男は、天下名題の色魔だよ」
 まるで私に食ってかゝる見幕である。私も腹にすえかねて、
「そうですか。然し、もう、あの病院には、お嬢さんは例の通り、どこかの色魔に
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