思っただけだ。
この賭けは思いのほかに成功したらしい。なぜなら、ヤス子は私に手を握られて、ボンヤリしているからである。世の中のことは分らぬものだ。後日、ヤス子は私に言ったが、このときは、バカらしくなったのだそうだ。要するに、それだけであったが、なんだか、感動したということだ。
私は、このバカバカしい成功を、信じていゝか、迷ったほどだ。そして私は信じるよりも、えゝ、どうせバカのついでだ、という居直り強盗の心境になった。
私はそこで、すり寄って、ヤス子の肩をやわらかくだいて、静かに接吻した。ヤス子はボンヤリして、うつろな目をあいたまゝ、されるまゝになっていた。
「ヤス子さん。私の魂はあげて下僕、ドレイのマゴコロです。けれども、とにかく、邪念なく、マジリケなしに、マゴコロがすべてゞすよ。私はあなたを愛し、尊敬し、こよなく、祈るようにお慕いしています」
とネンゴロに云って、次第にはげしくだきしめた。
★
思いをとげるということは、ある意味では、むなしいことだ。けれども、私はそうは言わない。マゴコロのもえ育つ日という。私は愛する人が、いとしい。それは、私よりも、いとしくさえ思われる。否、私よりもいとしいとハッキリ言いきれるのである。
わけてもヤス子はいとしかった。上高地で見た大正池と穂高の澄んだ景色のように、人の心も、その恋も澄む筈だと云った。あのリンリンたる言葉を、美しい音楽のようにわが耳に思いだして、私の心はいとしさに澄み、そしてひろびろとあたゝまる。
私のようなバカ者の中から何らかの高貴を見出し、高まろうとする。それはヤス子の必死の希いだ。さすれば下僕のマゴコロたるもの、何ものか自ら高貴でありたいと切に祈るのも仕方がない。さりとて、こればっかりはムリである。私は所詮高貴じゃない。
梨の花がさいていた。それは私にとっては別に美なるものには見えなかった。こんなものが、あの食べられる梨になるのかなアと思った。
私はいつもオシャベリだ。人に対して何か喋らずにいることが悪事のようにすら思われる幇間的な性根が具わっているのだが、アイビキのはての帰りの散歩の道などでは、どういう言葉もイヤになって、怒ったように、黙りこんでしまう。私の心がむなしくないからだ。いとしくて、そして、せつないからである。
私は、まったく、金竜のような女と一しょにいる
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