みたぬものであったら、もともと私は下僕です、すて去り、突き放して下さればよろしいのです。あなたへの奉仕と尊敬は、その切なさにも堪えねばならぬと命じるのですよ」
ヤス子は答えない。
「ためして下さい。私の切なる希《ねが》いをきゝとゞけて下さい。さもないと、死にます。いゝえ、ほんとですとも。この場で、今すぐにも、アッサリと、自殺します。ツラアテではないのです。私は生きているのが面倒なんですよ。私みたいなバカは、いつまで生きてみたって仕方がない。バカながら、自分のバカを感じることは、もう、タクサンという気持ですな。私は今朝、ふッと、考えたのです。一つのチャンスというものだから、この恋がダメなら、これをキッカケに、いっそ、それで死んじまえと思ったのです。そんな覚悟めいたものは、四五年前から、できていました。然し、実行の気持になったのは、今日がはじめてのことなんです。然し、もとより、死ぬことよりは、切なる思いをきゝとゞけていたゞく方が、どれだけ身にしみて有難いか知れません。どうか、私の哀願に許しを与えて下さい」
ヤス子は再び答えなかった。
私は胸のポケットへ右手をいれた。ある物を握りしめた。私はしばらく、目を閉じていた。私は自然、うなだれてしまった。私の心は寒々と澄んだ。むなしく、ひろく、何もなかった。こんなものか、と私は思った。なんの感動もなければ、悔いもない。
そして私は、握りしめたものを、胸にきつく押しつけた。心臓からの血しぶきが、胸のワイシャツに赤々とあふれ出た。
私はのめろうとする上体を起して、ヤス子をボンヤリ眺めていた。ヤス子は恐怖と驚愕にすくんだが、今にも私めがけて飛びつこうとするときに、私はガックリのめってしまった。
「三船さん、バカ、バカ」
私を抱き起そうとしたが、にわかに私の耳に口を当てて、
「シッカリして。今、医者をよびます。そんな、そんな、子供じみたことを」
私は顔をあげた。同時に、からだを起した。私は無言、呆気にとられるヤス子を見つめ、そして、ヤス子の手を静かにとって、ゆっくりと甲に接吻した。
「ヤス子さん。ごめんなさい。死ぬマネをしてみたのですよ。でも、ちょッと、死んだような気もしましたよ。ゴムフーセンに入れた赤インキですよ」
ヤス子は思いのこもった鋭い視線で私を睨んでいたが、私は平然たるものである。
「ヤス子さん、事の結果が、あな
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