いときから、しばしば女にベタ惚れという惚れ方をして、だらしなく悶々と思いつめたり、夢心持によろこび、よろこびのあまりに苦悶、苦痛、ねむれず、まことにとり乱してあられもない有様であったが、それはみんな手ぢかな女、中には万人の認める美人もいたが、気質的に近い人、成功率の高いある型に限られていた。ジロリ型の女は、始めから他人のつもりにしている自然の構えができていたのである。
然し、ジロリ型の女でも、手をつくして口説けばモノになるということが分ったのは私が大学を卒業する二十四の年、そのときから、私の人生が変った。
そのころの東京はまだ漫才というものが一般的なものでなく、寄席にかゝることも稀れで、浅草の片隅などでごく限られた定連相手に細々と興行していただけであった。私はそこの常連で、ついには楽屋へ遊びに行って漫才師と交驩《こうかん》するような、学生時代をそんなことで空費したのであるが、あるとき漫才屋さん方に時ならぬ欠勤続出して、舞台がもてなくなる騒ぎ、そのとき、楽屋へ一人の女漫才嬢が遊びに来合せていた。彼女は亭主の漫才屋さんと喧嘩別れして、目下相棒がなくて、楽屋へ油を売りに来ていたのだ。そこで私が、
「どうだい、アヤちゃん。あなたと私の即製コンビで、お手伝いをしようじゃないか」
「あんた、できる?」
「やってみなきゃア分らないやね。然し、なんとか、なるでしょう。お客さん方も幕を睨んでいるよりはマシだろう。まさか舞台へとび上ってヒッパタキにくることもなかろうさ」
というわけで、着物を拝借して、高座へ上った。なんとか呼吸も合い、私が浪花節を唸ったり、ヒッパタかれてノビてみせたり、ハデなもので、それから十日間ほど、やった。思うに第一回目が最上の出来で、このときは気持に特別のハリがこもっていたせいか、却ってスラスラ、うまく呼吸もあい、ハデな珍演も湧出というていであったが、芸ごとゝいうものは本腰にかゝると全然ウダツがあがらぬもので、三日四日とだんだん自分のヘタさが我が目に立つばかり、自縄自縛というものだ。
ところでその何日目かのことであるが、私が大学の三年間、親の脛《すね》をかじりながら、安値に遊ばせて貰ったさる土地の、私のナジミの妓を抱えているのが土地の名題の姐さんで、金龍という、この姐さんがジロリの女であった。
私のナジミの妓は照葉という平凡な、いつも金龍に叱りつけられて
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