ない。オレ、行くことにしようかな。心細くなっちゃったな」
と、二人は肩幅一メートル氏に案内されて、車組社長を訪ねて行った。
★
「私がフツツカで、双方の意志を通すことができませず、拝借の二十万円は、使い果してしまいました。すべて、私の責任ですから、社で切腹をと考えましたが、切腹しても、二十万円のカタがつくわけではありませんから、お詫びに参上致しました。二十万円の代り、突くなり、斬るなり、お気のすむように、存分にやって下さい」
と云って、花田一郎は、目をとじた。
小心者で、ちょッと針で突かれても、アッチッチと悲鳴をあげる弱虫であった。然し、彼は、まったく、覚悟をきめたのである。
悲愴な覚悟だ。
全然余裕がないから、覚悟はヒタムキで、正座して目をとじた姿には、迫力があった。斬られるのは、痛い、苦しいと語っている。然し、それでも、死なねばならぬと観念している。見方によれば、滑稽でもあった。
国際使節は、花田一郎の覚悟のほどが、はかりかねて、土井片彦にギロリと一睨み、
「お前もか」
「違うよ。冗談じゃないよ」
片彦は、大いに慌てた。
「オレは来たくなかったけど、立会人に来てくれというから、だから、云わないことじゃないよ。オレは、そもそも、死ぬッてことが、一番キライなんだ。でも、いずれ、死なゝきゃならない。これが、変なことなんだな。それでもって、色々、ワケがわからなくなって、このワケは、いまだに、誰にも分らない。人間の知識は、アサハカですよ」
「つまり、花一はじめ、お前ら、チンピラ記者ども、オレの社長じゃ、イヤだと云うのだな」
「ハア、つまり、そうです。ですから、私が責任を負います」
「二十万円が、不足か」
花田は、目をとじて、答えない。
すると、片彦が、
「そうだなア、それは、オレも気がつかなかったな。オレは、どうせ、パンパンだから、金で身売りか、それだったら、考えてみても、いゝかも知れねえな」
「オイ、よけいな口をだすな」
「いゝよ、云ったって、いゝじゃないか。君の問題とは、また、別だもの。オレは、パンパン的に、考えてるんだ。然し、現在、出版界の相場で、身売りに十万単位はいけねえと思うな。先に、アネモネ出版が身売りのとき、二百万だか、三百万だか、五百万ぐらいかも知れねえなア。やっぱり、こっちは、高く売るほど、いゝんだから、パンパンも、むつかしいもんだな。わからねえや」
そのとき、国際親善紳士、グイと身をひねって、
「この男を見損うな。この無礼者!」
タタミをグンとふみ、片腕で、力イッパイ、タタミをたゝいた。
「このオレが、貴様らの、カストリ雑誌の、社長に、なりたがって、いるとでも思うか。貴様ら、天下の車組の社長、車善八を、貴様ら如きチッポケな雑誌の社長に見立てゝ、オレが、そんなものに、なると思うか」
「イヤ、社長、そうじゃないです。私は、わが社の社長問題などには毛頭ふれておりません。あなたが、自分から、言われたのです。私は、二十万円のお詫びに、突くなり、斬るなり、お気のすむようにして下さい、と申したゞけです」
花田一郎は蒼白だ。後へは、ひかぬ。死ぬ覚悟である。
いきなり、グアッと、メリケン。花田のからだは、ふッとんだ。ぶッ倒れ、動かない。鼻血があふれてきた。片彦は慌てゝ、二三歩うしろへ忽ち、逃げのびて、
「オレは、違うですよ。単なる、立会人だからね。オレは、しかし、終戦以来、とても、運が悪くッて、こまッちゃうよ。オレ、先日、スシ屋で、ほかの男と間違えて、ケンカをうられて、違いますよ、オレじゃないよ、と云ってるのに、ポカポカなぐられちゃって、運が、わりいよ。オレのオフクロ、子供んときから、成田のオマモリなんか持たせやがって、それが割れちゃったりして、つまらねえことまで、ネザメが悪くって、どうも、気分がよくねえよ。人を、まちがえちゃ、いけねえなア。心細く、なっちゃうよ」
三分か、五分ぐらい、たった。国際親善紳士は、だまって、睨みつけている。
花田は、ぶっ倒れて、鼻血をさかんに吹きあげて、依然、目をとじたまゝ、微動もしない。死んだのか、生きているのか、意識があるのか、ないのか、分らない。
国際親善紳士が、スックと立ち上った。片彦はバネ仕掛にとび上って、逃げ腰となって、
「いけねえな。心臓が、弱くなるよ。オレは、全然、ちがうんだから、まちがえちゃ、いけねえなア。危ぶねえなア。オット、いけねえ」
「つまみだせ」
秘書に云い残して、大紳士は立ち去った。
「ハア、ボクが、つまみだします」
片彦は肩幅一メートル氏の顔色をうかゞいながら、
「たのみます。つまみだしても、いゝですか。死んでるのかな。いいですか、ゆさぶッても。オレを、なぐっちゃ、いけねえなア。なんだか、なぐられそうで、行かれねえ
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