生活、そのうへ亡夫と一緒のころから孤独には馴れてゐた。なぜなら亡夫は外国航路の船長で、大部分は海で暮して、たまに帰ると家よりも青楼《せいろう》で深酌高唱、時にはまだ学生の庄吉をつれて出たまゝ倅まで青楼へ泊めてしまふていたらくで、亭主と顔を合せるたびに剣客が他流試合をするやうな長々の生活に馴れてきたのだ。
 亡夫の遺産は年端もゆかぬ庄吉がみるみる使ひ果し家屋敷は借金のカタにとりたてられ、執達吏はくる、御当人は逃げだして文学少女とママゴトみたいな生活して、原稿は売れず、酒屋米屋家賃に追はれて、逃げ廻り、居候、転々八方うろつき廻り、子供が病気だのと金をせびりにくる、彼女は長年の訓導生活で万金のヘソクリがあるからそれを見こんで庄吉が騙しにくるのだけれども、もう鐚一文《びたいちもん》やらないことにしてゐる。下宿を追はれ、どこかの居候もゐにくゝなると、小田原へ逃げのびてきて糊口をしのぎ、原稿をかいてどこかの部屋をかりる当がつくとサッサと飛びだすといふ習慣、恩愛の情など微塵もなく、たゞもうヤッカイ千万な奴だと思つてゐる。
 然しそのとき庄吉には都落ちを慰めてくれる非常に大きな希望があつた。それは東都の第一流の大新聞が連載小説を依頼してくれたからで、近頃では新聞の連載などではカストリもろくに飲めないけれども、そのころの新聞連載、それも彼の依頼を受けた第一流の新聞ともなれば、生活は一気に楽になる。
 庄吉は孤高の文学だのストア派などゝ言はれ当人もその気になつてゐたが、実際の心事はさうではなくて、何よりも金が欲しい。貧乏はつらいのだ。そのくせ武士は食はねど高楊子、金なんか何だい、たゞ仕事さへすりやいゝんだ、静かな部屋、女房子供に患はされぬ閑居があれば忽ち傑作が出来あがるやうな妄想的な説を持してゐる。
 彼は然し実際は最も冷酷な鬼の目をもち、文学などはタカの知れたもの、芸術などゝいふと何か妖怪じみた純粋の神秘神品の如くに言はれるけれども、ゲーテがたまたまシエクスピアを読み感動してオレも一つマネをしてと慌てゝ書きだしたのが彼の代表的な傑作であつたといふぐあいのもの、古来傑作の多くはお金が欲しくてお金のために書きなぐつて出来あがつたものだ、バルザックは遊興費のために書き、チエホフは劇場主の無理な日限に渋面つくつて取りかゝり、ドストエフスキーは読者の好みに応じて人物の性格まで変へ、あらゆる俗悪
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