つた、といふことができる。
然し我々凡夫の道、一般世間人の道はあべこべで、社会秩序や共同生活の理念はエゴイストでないことや自己犠牲の如きものを根幹としてをらず、他に害を与へぬ範囲に於て自己の欲望の満足、現世の悦楽をみたすことを基本としてゐるものなのである。キリスト教徒はキリストの苦痛を自ら行ふことではなく、キリストの犠牲に於て彼等の現世の幸が約束せられてゐるのだ。我々はキリストが最高の人格であることを知つてゐる。とはいへ、我々すべてがキリストの如き人格であらねばならず、我々の日常生活にキリストの如き自己犠牲が要求せられたなら、我々は悲鳴をあげるのみならず、反抗し、革命を起すにきまつてゐる。最高の人格やモラルは我々の秩序にとつては異常であり、その意味に於て罪悪と異るところはない。我々の秩序はエゴイズムを基本につくられてゐるものであり、我々はエゴイストだ。
私は十数年前に一人の女を知つてゐた。人妻であつたが千人の男を知りたいといふ考へをもつてをり、大学生などと泊り歩いてゐた女で、そのうちに離縁され花柳病になつて行き場に窮して私達のアパートの一室へ転がりこんできたので、自分の欲望のため以
前へ
次へ
全11ページ中4ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング