が、順番制度といふやうなもので才能の分配が行はれるやうになれば、なるほど楽であらう。秩序とは万事かくの如きものであり、才能の自由競争は組合違反とくる。芸術の世界に於てはかゝる秩序の馬鹿らしさが分るけれども、一般社会に於てはそれが分らぬのである。
 放恣とてもさうである。人を裏切る者は自らも亦裏切られる。権謀術数、可能なあらゆる悪策鬼略に自ら傷き、裏切る故に裏切られ、戦国時代の豪傑どもも保護の上で束縛され安眠したいと思ふやうになる。どんな卑劣な手段を用ひても勝てばよいといふ宮本武蔵の剣法が衰へ、形式主義の柳生流が謳歌せられるに至るのも、豪傑どもが剣道本来の激しさに堪へ得なくなるのである。かくて虚妄の正義は誕生する。
 ゼネストが他に迷惑を与へることによつて反感を買ふ。然し要求の当然な権利は認めないわけに行かない。エゴイズムはエゴイズムによつて反逆され復讐されるのである。道義の頽廃を嘆くことのエゴイズムも同じこと、如何に嘆いてみたところで夫子《ふうし》自らの道義なるものゝエゴイズムをさとらなければ笑ひ話にすぎないだらう。闇の女も出家遁世も単にエゴイストにすぎないが、要するにエゴイズムはエゴイズムによつて反逆される。仕方のないことではないか。家庭や秩序の永遠なる平和などといふものは有りうるものではない。
 芸術は如何なる時にも永遠なるもの、絶対なるもの、真善美のために戦はれてきた魂の足跡であるが、決してかゝる秩序の軽率な味方ではなかつた。
 日本の復興には道義、秩序の恢復が急務だといふ。だが本来エゴイズムの道義にはよけいな理窟はいらないので、電車の数が多くなれば誰も押し合ふ筈はなく、物が出廻れば闇屋はなくなる。物質の復興が急務である。もしそれ電車の中で老幼婦女子に席をゆづる如きことが道義の復興であるといふなら、電車の座席をゆづり得ても、人生の座席をゆづり得ぬ自分を省みること。下らぬ親切は余計なことだ。人に親切にするなら小平や狼に殺されるのを自覚の上で親切をつくすこと。私は電車の座席をゆづつて善人ぶり、道義の頽廃を嘆く人よりも、誘拐犯人の樋口の方をはるかに愛す。俺が帰京したところで娘は戻らぬといふ吉右衛門氏の言葉の方が重々尤も千万なので、まさに御説の通りであり、道義頽廃などと嘆くよりも先づ汝らの心に就て省みよ。人のオセッカイは後にして、自分のことを考へることだ。



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