なかったか、今に至ってようやく共産党に入るのは何故か、ということを第一に考える必要があるだろう。
 今まで、政治的関心がなかった、とか、政治について無知であったとすれば、彼らが他の分野に於て身につけた専門的学識も、畸形的なもので、だいたいゼロに等しいヤワな学識であったと判断してよろしかろうと思う。出隆《いでたかし》教授や森田草平氏の過去の思弁生活に於ける実質をもとめれば、彼らがその専門的学識に残した業績が、ほゞゼロに等しいヤワなものであったことは疑えない。センチメンタルであり、純情的であるが、プラトンやアリストテレスが常にエゴというものを、純粋自我というものと同時に、一市民として見つめつゞけた思弁の確かさは、たしかに御両氏には欠けている。
 アテナイの昔に於ては一市民であるが、今日に於ては、日本人、あるいは、世界人、とにかく世界全体の共同生活体の一員としての自我というものは、個人的人間自我と共に、自我の思弁に関しては常に表裏であり、一体であって、これをいかに合理化するか、自我に関する思弁の悩みは、先ず、こゝを離れてはゼロである。出隆教授も森田草平氏も、その思弁生活はもともと空中楼閣であ
前へ 次へ
全11ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング