紫の浦の太郎兵衛であるかも知れず、玄海灘の頓兵衛であるかも知れぬ。
とにかく、この怪物を食べてくれようと心をかため、忽ち十字架にかけられて天国へ急いだ人がある筈だが、そのとき、子孫を枕頭に集めて、爾来この怪物を食つてはならぬと遺言した太郎兵衛もあるかも知れぬが、おい、俺は今こゝにかうして死ぬけれども、この肉の甘味だけは子々孫々忘れてはならぬ。
俺は不幸にして血をしぼるのを忘れたやうだが、お前達は忘れず血をしぼつて食ふがいゝ。夢々勇気をくぢいてはならぬ。
かう遺言して往生を遂げた頓兵衛がゐたに相違ない。かうしてフグの胃袋に就て、肝臓に就て、又臓物の一つ/\に就て各々の訓戒を残し、自らは十字架にかゝつて果てた幾百十の頓兵衛がゐたのだ。
中
私はしばらく信州の奈良原といふ鉱泉で暮したことがある。信越線小諸をすぎ、田中といふ小駅で下車して、地蔵峠を越え鹿沢温泉へ赴く途中、雷に見舞はれ、密林の中へ逃げた。そこで偶然この鉱泉を見つけたのだ。海抜千百|米《メートル》、戸数十五戸の山腹の密林にある小部落で、鉱泉宿が一軒ある。
私は雷が消えてから一応鹿沢へ赴いたが、そこが満員に近かつたので、そこで僕を待ち合してゐた若園清太郎をうながして、奈良原へ戻つたのである。
然し、この鉱泉で長逗留を試みるには、一応の覚悟がいる。どのやうな不思議な味の食物でも喉を通す勇気がなくては泊れない。尋常一様の味ではないのである。私は与へられた食物に就て不服を言はぬたちであるが、この鉱泉では悲鳴をあげた。若園清太郎に至つては、東京のカンヅメを取寄せるために、終日手紙を書き、東京と連絡するに寧日ない有様であつた。
又、鯉と茸が嫌ひでは、この鉱泉に泊られぬ。毎日毎晩、鯉と茸を食はせ、それ以外のものは稀にしか食はせてくれぬからである。さて、鯉はとにかくとして、茸に就ての話であるが、松茸ならば、誰しも驚く筈がない。この宿屋では、決して素性ある茸を食はせてくれぬ。
現れた茸を睨むや、先づ腕組し、一応は呻《うな》つてもみて、植物辞典があるならば箸より先にそれを執らうといふ気持に襲はれる茸なのである。
この部落には茸とりの名人がゐて、この名人がとつてきた茸であるから、絶対に大丈夫なのだと宿屋の者は言ふのである。夜になると、十五軒の部落の総人口が一日の疲れを休めにこの鉱泉へ集つてくるが、
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