》けつけて行って聞いてみると、案に相違して、今、高僧が来着したから、礼砲を打ったのだという話であります。駛けつけた連中は、非常に吃驚りいたしまして、帰ってそれを城中へ報告します。
臼杵の殿様はそれを聞いて、そんなにみんなが尊敬している高僧ならば、ぜひ会いたいものだというので、また使いが飛んで、ザヴィエルは臼杵の殿様に会うことになりました。
この殿様というのが、大友|義鎮《よししげ》、後に宗麟《そうりん》と名を変えた人であります。この対面の時というのが、実に大変なものでありまして、ポルトガル商船の一行は、豪華版をひろげたのであります。
まず行列の最前列には、楽隊がずらりと並び、その後には金モールや銀モールの美しい、凛々しい服を身につけたポルトガル人が騎馬で、並んだのであります。次ぎにはザヴィエルが乗物に乗りまして、またその後には船長が土産物を沢山に盛りあげた姿で、乗り込んで参りました。
この土産物を差出して、謁見ということになったのであります。その威儀の堂々たるところに、大友宗麟は感動してしまいまして、直ちにキリスト教の布教を許したのでありますが、それだけでなく、この様子を見て、即時その場で改宗する者まで出て来ました。
この時ザヴィエルが約一時間ぐらいの説教をやっておりますと、その短い間にどんどんと改宗者が現われて参ったのであります。これはちょっと驚くべきことであります。その後もキリスト教の伝播は非常に早かったのであります。が、とにかく、この最初の時の早さというのは大変なものであります。
そこで、ニッポン人は、威風堂々として、意気の盛んな儀容を示さなければ、信用もしなければ、尊敬もしてくれない。そして、音物《いんもつ》をやらなければ、贈り物をしなければうまくゆかない。このようなことを悟ったのでありますが、こういうことは全部、本国へ云い送っているのであります。
また、ニッポン人は非常に文化が進んでおり、知識慾が旺盛であり名誉を重んじ、寛仁大度である、非常に誠実な国民であるけれども非常に好奇心が強い、とも云われておりました。何か珍らしい物をもって行けば、ニッポン人の好奇心をそそり、魅力となるであろう、黒人でも一緒に連れて行ったらよかろうなどと書いた手紙などもあります。
或る時、ポルトガル人がこのニグロの一人を信長のところへ連れて行きました。信長はこのニグロを見て吃驚りいたしました。信長という人は非常に理智的な人でありまして、ニッポンには珍らしいくらい、現代的な知性を持っていた人物でありますが、これは嘘だろうというので、裸にしまして、ふんどしまで取らして、手で身体を触ってみましたが、どうしても分らない。今度は、お湯で洗わしてみても色が落ちない。こりゃア本物だというので、一緒に連れて来た僧からこのニグロを譲りうけて、これを自分のお茶坊主みたいにして使っておったそうであります。
これはニッポンの記録にも残っておりますし、また本能寺の変の時には、このお茶坊主が刀を抜いて戦いまして、本能寺が落城いたしますと、今度は信長の子供の信忠の二条城に行って、明智勢を向うにまわして、戦いました。明智勢は彼の刀をもぎとり、投げ捨てて、お前なんかは殺さないと云いました。そこで捕虜になりまして光秀のところへ連れて行ったのですが、ニッポン人ではないから勘弁してやるということで、教会のほうへ帰してやったそうであります。その記録は今日も残っております。
どうも、尻りきれとんぼですが、時間が参りましたので、結論がありませんが、この辺でやめておきます。
[#地から1字上げ]――歴史に関する或る講演・終――
底本:「坂口安吾全集 07」筑摩書房
1998(平成10)年8月20日初版第1刷発行
底本の親本:「歴史小説 創刊号、第一巻第二号」
1948(昭和23)年10月1日、11月1日発行
初出:「歴史小説 創刊号、第一巻第二号」
1948(昭和23)年10月1日、11月1日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:tatsuki
校正:oterudon
2007年7月15日作成
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