の連中が討死しますと、だんだん寄手の勢いが強くなった。織田信長までが寺の廊下へ現われまして、片はだ脱いで槍を持ち出して、近づくやつを突き落した。そのうちに矢が片腕に当りましたので、部屋の中央にもどって来て、火をかけて自殺した」
 ――こんな風に書いてあるのであります。
 ところが、この当時に、この本能寺という寺のあった所から、約一丁ばかり離れた場所に、京都に於けるたった一つのキリシタンの教会があったのでありますが、この教会におりましたヨーロッパ生れの神父たちは、真夜中に戦争らしい物音に眼をさましたのであります。それからまァ、いろいろと避難の用意などをあれこれと致しまして、夜の明けるのを待ちまして、もっともたゞ黙って待っていたのではありません、尽せるだけの手段を尽してあらゆる方面から情報をあつめたのであります。可能な限りの探査を行ったのであります。全然、落ちついていたわけであります。これらの人々によって収集されたニュースは、適当にまとめられまして、直ちにそれぞれの本国に報告されたのであります。
 その報告によりますと、こういうことになるのであります。――
「明智の勢は、本能寺を取り囲んで、それから本能寺のなかに乗り込んで行ったのではなく、本能寺のほうでは謀反などという嫌疑すらも持っておりませんでしたので、誰も手向ってゆく者がない。どこに一人も抵抗する者もなく、どんどんと這入って行って、信長のいるらしい部屋のところまで来てしまった。信長は顔を洗って手拭いで拭いていました時に、そこに、先頭にはいって来た奴が弓を射った。その矢が背中に刺さりましたので、ぐっと振り向くとその矢を抜きとって、薙刀《なぎなた》をとるとしばらくの間戦いました。そうしていると今度は、鉄砲の弾丸が片腕に当りましたので、寝所のなかに這入って切腹した」――という説と、「寝所のあたりに火をつけた」という説と二つあるのでありますが、その直後のことは誰も見ていたわけではありませんから、まるっきり分らないのであります。
 ところが、同じこの事件についての、キリシタン・バテレンの連中の報告というのが、実に精確きわまるものなのであります。その証拠があるのであります。彼等の報告は今日もいろいろな形式で書物になって、私たちの手にはいりますから、それをお読み下さるとお分りになるのでありますが、そういうものと、ニッポン人として
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