トガル船が碇泊しました時に、うまく乗り込み、海外へむかって脱走しようという手はずをととのえたのであります。その商人から紹介状をもらって、港へ出かけたのですが、ポルトガルの船が二艘来ておりました。この二艘の船の船長は、フランシスコ・ザヴィエルを非常に尊敬していたのでありました。
 船長は弥次郎の話を聴きまして、大いに同情を催したのであります。船長は、弥次郎をザヴィエルに紹介してやろうというので、船へ乗せて、マラッカへ連れて参りました。
 弥次郎はザヴィエルに会いまして、その人格に傾倒したのでありますが、ザヴィエルのほうでも、弥次郎を見ましたところが、今まで眼の前に見ていた熱帯の土人には見ることの出来ない知識、記憶力、礼儀正しさ、を認めただけでなく、その上にいつまでも何かを知ろうとする真面目な努力のひらめき[#「ひらめき」に傍点]があることが分りましたので、ニッポン人という人間がこのような人種であるのならば、このニッポンこそは、自分の伝道すべき地域であると考えたのでありました。ザヴィエルは、この弥次郎という人間が、実にどうも誠心誠意キリストの教えを守るので、とても吃驚《びっく》りしたのであります。彼は弥次郎を、インドのゴアという所にあるキリスト教の学校へやって勉強をさせたのでありましたが、弥次郎はもともとポルトガル人の友だちを持っていましたし、ゴアへ参りましても、普通のニッポン人にくらべますと驚くべきほど早く、たちまちにしてポルトガル語が上達いたしました。また、キリスト教の趣意を理解することにおきましても、長足の進歩をしたのでありまして、そのゴアの学校でも並ぶ者のないほどの、最高の学者になったのであります。
 こんな具合ですから、ザヴィエルは、弥次郎に対して絶大な信頼をよせていたのでありますが、どうも併しこのことの為に、今日になりましてもニッポンの歴史家たちは――主としてキリスト教の歴史を書いておる歴史家のことを云うのでありますが、そして大体に於てはキリスト教徒のほうが多かったのでありますけれども――ザヴィエルを、この上もなく信頼しておりましたので、ザヴィエルの説をもそのままに呑み込むことが多く、弥次郎の人格をもまた非常に高く買っておるようでありますけれども、われわれ文学にたずさわっております者の眼から見ますと、どうも、そういう風には思えないのであります。
 この弥次郎
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