んの言う通り、ヘソだしレビュウなどゝは情ない。色気自身を芸でだして行かねばならぬ。女であるということを忘れて、女として舞台に誕生することを第一の心構えとしなければならぬ。
女としては、浅草の女優さん踊子さんは、ダンサアや女給方よりも、数等色ッポイのである。楽屋や、酒席にいる時は、そうだ。だから私が、浅草でお酒を飲むのが好きだという次第でもある。
やっぱり、芸の身の入れ方が足りなかったのだろうと思う。モンパルナスやモンマルトルは、ある意味では、落伍者の街で、浅草も亦、落伍者の街であるが、浅草には落伍者の誇りがない。それだけモンパルナスやモンマルトルよりも低いのである。
つまり、浅草は、たゞドサ廻りの悲哀のような、落伍者的情緒にすがっているだけで、落伍者を誇り、世にみとめられざる我が万能をやむような骨がない。それだけ、彼らが、芸一途にすがっていない証拠である。本来二流三流に甘んじて、悲哀の情緒をふるさとにしているだけなのである。
落伍者の背後に一流の矜持が隠されているようになれば、浅草はおのずから復興する。淀橋太郎とか有吉光也とかみんな素質ある脚本家であり、森川信なども野心満々たる男であるから、新風に野心を凝らし、一流を志すようになれば、新生面はひらかれてくる筈である。
彼らに一流の矜持があれば、浅草は又、面白いところで、彼らのドサ廻りの恋愛談などケタ外れの歴史を秘めている各々一流の曲者なのであるから、人生の幅に於て欠けるところはない。ただ足りないものは、落伍者の一流の誇りである。
もっとも女の子がみんな一流になって、私にツキアッてくれなくなると大変だが、そんなものではなかろう。一流の矜持というものは、益々愛嬌よく、益々ニコニコ色ッポクつきあってくれる性質のものなのである。
まことに、そうあれかし。これをバイブルに、アーメンと唱えるのである。
底本:「坂口安吾全集 06」筑摩書房
1998(平成10)年7月20日初版第1刷発行
底本の親本:「ナイト 創刊号」ナイト
1948(昭和23)年1月25日発行
初出:「ナイト 創刊号」ナイト
1948(昭和23)年1月25日発行
入力:tatsuki
校正:小林繁雄
2007年2月22日作成
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