中通りかゝると、二人の男が屍体七ツつみ重ねて火をつけるところだ。見物してゐるヒマ人もをらず、鼻唄まじりで呑気なもので面倒がつてドッコイショと屍体を投げすてゝ、次の屍体をとりに行きかけて、ヒョッと気がついたのは何かといふと屍体が戦闘帽をかぶつてゐる。これは勿体ないといふので、戦闘帽をぬがせて横ッちよへ投げた。あとで誰にいくらに売つたか知らないが、私は然しチラと横目にこれを見て、別に厭な気はしなかつた。青空の明るい夏であつた。すべては健康であつた。野武士といふものも、こんな風な、健康なものであつたに相違ない。人間の健康さだか、森の狸や狢《むじな》のやうな健康さなのだか知らないが、私は今でも忘れない。ヒョイと帽子をつかみとつて横へ投げすてた。だいたい屍体に対する特殊な感情や態度が微塵もないので、罪悪的な暗さは全くない。開放的で、大らかで、私が健康を感じたのは私が落ちぶれたせゐではないのである。私をとりまく環境が、かういふ風になつてゐた。
 近頃では立小便は罰金をとられるけれども、あの当時は、焼け残つた家の便所で尤らしく小便するのが奇怪なほどで、遊びにきた人に、オイ/\、君、外へ行かなくつても家の中に便所があるよ、と言つても、イヤ、面倒だよ、と云つて、わざ/\下駄をはいて外へでゝシャア/\やつてゐる。
 だから私が荒川熊蔵になつても、自分では別に落ちぶれたとも思つてゐないので、これを笑ふ俗人どもは馬鹿な奴だ、今に穴ボコの中で石と材木に圧しつぶされて死ぬのも知らないで、などゝ得意になつてゐる。
 負けいくさの戦争は全く小気味がいゝほど現実に幻想的だ。工夫に富めるラ・マンチャの紳士ドン・キホーテと云ふけれども、私の方では一向に笑ひ話ではないので、戦争中の私を通観すれば、あんまり工夫に富んではゐなかつたが、然し、ともかく、サンチョ・パンザよりはいくらかましな工夫をめぐらして、それが一向にをかしくもなんともない。一方、頭の上にB29といふ厭にスマートな文明の利器がすい/\空をとんでゐるだけ、セル※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]ンテス以上に奇怪な幻想的風景なのだが、それが微塵もフィクションではない、ギリ/\の生活だから笑はせる。
 おかげで私は丈夫になつた。筋骨隆々、さうはいかないけれども、何しろ栄養がよろしくないのだから、肉体の重量は一オンスもふへてはをらぬのだが、妖怪的な強
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