だ。
 私はとりとめもなく幻想的な回想に沈んでいたが、ふと二十一歳の闘病生活を思いだして、はじめて私の精神上の疾患は、私自身が治す以外に法がないと気がついたのだ。私は不眠を怖れて仕事をためらい、最良のコンディションを待っていたが、これほど徒労のことはない。二十一歳の私はヤミクモに辞書をひき、文法書にかじりついて、あの夥しい妄想を退散せしめたではないか。不眠ならば不眠を怖れるには及ばない。ねむたさに両の目が明かなくなるまで、仕事をつゞけて、ねむたい時に、その場で寝てしまえばいゝのである。あのときの夥しい妄想や、聴力が一時的に失われたことや、運動神経まで弛緩してしまったことに比較すれば、現在の私は、はるかに健康と云える。肉体は医者にゆだねる以外に仕方がないが、精神だけは、いかなる時も自分が管理しなければならないものである。私はふと、この理に気付いたのであった。
 人間は意志することによって、又、意志するものゝ中に、自分の姿を見出す以外に法がないと云えるであろう。温灸の婆さんのカケアイ漫才の不潔さに堪えられなかった私は、いさゝか寛仁大度を失し、ユーモアを失していたかも知れぬが、見様によれば、健全でないこともない。狭量ではあっても、不健全ではないようである。
 私は私の精神を、医師や薬品にゆだねたことが失敗であった。意志にゆだぬべきであったのである。
 隣室では、檀君も徹夜の仕事をかたづけて、待っていた編輯者が、いま帰って行くところである。昨夜おそく、女房が東京から「にっぽん物語」の未定稿を持って帰ってきた。私は常に両の眼があかなくなるまで、この作品を書きつゞけるつもりである。私はもはや、いさゝかも不眠を怖れてはいない。

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附記 本稿はもと別の雑誌に掲載の予定であったが、あまり多く「にっぽん物語」について語りすぎたので、群像へ廻すことにした。つまり群像は、十一月号から、私が「にっぽん物語」の続稿を掲載する筈の雑誌なのである。したがって、「まえがき」の部分で、某誌とあるのは、実は「群像」自体をさすことになるのであるが、私は故意に訂正しないことにした。
 この小文が、私の一生の記念的な転機となってくれゝば幸いであるが、私はそれを信じて疑わないものである。尚、続稿掲載に当っては、「にっぽん物語」の題名を変更するつもりであるが、今のところは、適当な題が見当らないから、この小稿に限って、「にっぽん物語」とよんでおくことにした。
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[#地から1字上げ](一九四九、八、三〇)



底本:「坂口安吾全集 08」筑摩書房
   1998(平成10)年9月20日初版第1刷発行
底本の親本:「群像 第四巻第一〇号」
   1949(昭和24)年10月1日発行
初出:「群像 第四巻第一〇号」
   1949(昭和24)年10月1日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:tatsuki
校正:noriko saito
2009年1月26日作成
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