いっていたが、私が病状を決定的に悪化させたのは、この旅行に於いてであった。
 私は東京で京都育ちの何人かを助手に雇えばよかったのである。ところが、当時は、そう考えてはいなかった。なまじいに助手を雇うと、仕事は容易であるが、助手の個性に左右されて、目的を逸しはしないか、と考えたからである。私は京都の標準語を習うことが目的でもないが、特に私流にアンバイして、作中の各人物に個性的な言葉を与えなければならないからであった。
 私は助手を雇わずに、京都のまんなかへ潜在して、出来るかぎり多くの人物と語り合い、多様な言葉を観察して、その中から、私流に幾つかの言葉の個性を発明しようと考えた。そして私は京都へ向った。そして、この旅行が失敗に終った。言葉の発明に失敗したわけではないが、最も単純に、体力的に敗北してしまったのである。今年の元日以来スチームが通うようになったが、昨年の暮には、東海道線にはスチームが通じていなかった。車中の寒気にふるえ、絶え間なく流れでる洟汁と、こみあげる吐き気に苦しんだ。京都へついた私は、まったく船酔いに似て、寒気と吐き気に苦悶し、半死半生のていであった。京都の旅館へついて、そ
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