は、あらたに某誌へ続稿を連載する時には、私自身の新しく選んだ題名に変更するつもりである)
 以上が本文の主旨であるが、以下、私は漫然と、私の精神の周囲を散歩してみようと思う。

          ★

 伊豆の伊東へきて、もう九日になった。ちょうど一週間目に体重をはかったら、私は伊東へきて四キロふとり、六十七と八を上下する体重になっているのである。ここへ着いた翌日は六十四キロであった。六十七・五キロと云えば、ちょうど十八貫、私の生涯でこれほどふとったことはない。
 私は京都で、たった二日のうちに、十五貫から十七貫五百になったことがある。これは脚気《かっけ》でむくんだせいである。むくむのも目方のうち、とは、その日まで気がつかなかったが、むくみにしても、にわかに二貫五百ふとると、我ながら堂々と、たのもしく、ズッシリとわが身の重みを感じるものである。モットモ脚気というものは、足が挙らなくなるものだから、そッちの方で甚大な重みを感じることも事実だが、鏡にうつしても堂々たるもの、但し、二日で二貫五百もふとると、人相まで一変してしまう。私の人相が、にわかに、出羽海に似ていたので、たいへん感服したものであった。但し脚気の薬をのんだら、たった三日で、もとのペシャンコになってしまった。その時以来、十七貫までふとったが、それ以上にふとったことはなかったのである。
 私は十八貫という体重を発見して以来、その一日は、幻想的な思索にしずんだ。これは、まったく、異常である。しかし、どこかに理由がなければならないだろう。
 私は温灸《おんきゅう》のせいかも知れないと考えた。この温灸は伊東へついた翌日、尾崎士郎の奥さんが教えてくれたのである。
 私が二年前に伊東へ遊びに来たとき、尾崎士郎が妙なお灸をすすめた。
「キミ、頭のテッペンへお灸をやってみないかね。跡なんか、つきやしないよ。ガーゼをしいて、その上へお灸をもすんだ。熱くもなんともないんだ。ホカホカするだけでね。頭の疲れがとれて、よく眠れるんだ」
 今にして思えば、それがつまり温灸であった。私はお灸と温灸の区別どころか、お灸そのものすらも、当時は知らなかったのである。
 私はさッそく、その翌日から、この温灸を試みた。さる婆さんが、やっているのである。四十前後の二人の中年婦人のお弟子を従えて現れるのである。
 私の胃袋のあたりへ、ちょッと手をふ
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