、こんな題をつけるバカがいる筈のものではない。この部分は、新潮の三、五、六、七月号に分載された。
私にとっては、題名は「にっぽん物語」でもよかったのである。それは雑誌社も承知しており、私は常々、よい題名がありさえすれば、なんとつけても宜しい、と云い云いしていたことであった。だから妙に遠慮せず、ハッキリと「にっぽん物語」と題をつけてくれた方がよかったのである。新潮社が遠慮すべき点は、ほかに在った。それは、私の承諾を得ずに、発表してはいけない、という一事であった。
私は今まで、全部の完成を見ぬうちに発表した長篇は、すべてが中絶という運命にあった。これは作者の個性的な性癖の一つで、仕方がないものであろうと思う。その反面、全部の完成を見るまで発表を控えたものは、二年三年の難航はあっても、それぞれ完成しているのである。私はその運命を怖れた。そして、新潮の社員に、題名などは何でもいゝが、全部の完成を見るまで発表を控えて欲しいという一事だけ、特別に言いつゞけていたのであった。借金のことなど、雑誌社にも言い分はあることだし、発表された今となっては、もう仕方がない。女々しく取乱すよりも、私として最も大切な一事は、従来の運命をくつがえして、すでに発表されたこの小説をあくまで完成しなければならない、ということであった。
ところが困ったことに、私がなんと焦っても、私一個の焦りだけで、この小説を書きすゝめることが出来ない障碍が行く手にあった。それは京都の言葉であった。第一章の「その二」及び第二章の殆ど全部が、京都が舞台になっているからであった。私も十三年ほど以前に、「吹雪物語」を書いていたとき、京都に一年半滞在していた。それだけに多少の心得はあったが、反面、京都弁のむつかしさも心得ていた。特にこれを個性的に表現することがむつかしい。私の人物にモデルがあれば、言葉の癖をとらえることも易しいが、すべてが架空の人物であるから、それらの人々に京都弁を喋らせて、各自に言葉の個性をもたせることは容易の業ではない。
第一章の「その一」を書き終えたのは去年の十一月であったが、この定稿を新潮社へ渡して、「その二」を書きすゝめてゆくうちに、もどかしさに、たまらなくなった。京都弁を表現し得ないもどかしさに。
私は昨年の暮に東京をたち、この正月を京都で送った。すでにもう小説は「その二」を終って、第二章には
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