盗になろうという気持がなければ、泥棒の備えを立てるに汲々たる金持どもが利巧に見える筈はありっこない。
泥棒の心配で夜もオチオチ眠れないような身分になってみたいもんだというのは重々ゴモットモではあるが、金持は泥棒の心配をしなければならないものだという天の定めがあるわけではない。金持になって、おまけに泥棒の心配をせずにすむなら、これに越したことはないさ。
国防は武力に限るときめてかかっているのは軽率であろう。
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今日までの金持というものは、だいたいにねかせた財産をもち、その大小によって金持の番附がつくられるような富の在り方であった。莫大な預金、広大な所有地。そしてそれは泥棒が主として狙う富でもあった。だが、財産とか富貴というものがそれだけだとは限らない。泥棒がどうすることもできないような財産もありうるであろう。
高い工業技術とか優秀な製品というものは、その技能を身につけた人間を盗まぬ限りは盗むわけにはゆかない。そしてそれが特定の少数の人に属するものではなく国民全部に行きたわっている場合には盗みようがない。
美しい芸術を創ったり、うまい食べ物を造ったり、便利な生活を考案したりして、またそれを味うことが行きわたっているような生活自体を誰も盗むことができないだろう。すくなくとも、その国が自ら戦争さえしなければ、それがこわされる筈はあるまい。
このような生活自体の高さや豊かさというものは、それを守るために戦争することも必要ではなくなる性質のものだ。有りあまる金だの土地だのは持たないし、むしろ有りあまる物を持たずにモウケをそッくり生活を豊かにするためにつぎこんでいる国からは、国民の生活以外に盗むものがない。そしてその国民が自ら戦争さえしなければ、その生活は盗まれることがなかろう。
けれどもこんな国へもガムシャラに盗みを働きにくるキ印がいないとは限らないが、キ印を相手に戦争してよけいなケガを求めるのはバカバカしいから、さっさと手をあげて降参して相手にならずにいれば、それでも手当り次第ぶっこわすようなことはさすがにキ印でもできないし、さて腕力でおどしつけて家来にしたつもりでいたものの、生活万般にわたって家来の方がはるかに高くて豊かなことが分ってくるにしたがってさすがのキ印もだんだん気が弱くなり、結構ダンビラふりかざしてあばれこんできたキ印の方が居候のよ
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