、清らかなほど澄んだ絵巻をくりひろげてもくれます。然し、このひとの素直な清らかな心情は、つひに自ら物語るそれにはなり得なかつたのですね。結局このひとの心情と叡智は、日本の最も代表的な、物語を読む側のすぐれた叡智であつたことを証してゐます。君のために、君の物語をきくために、プルウストの何々夫人と同じやうに、このやうなをみなごをあれかしと僕はしきりに思つたのでした。
皆人の仰せらるるにより、若い時に旅をせねば老いて物語がないからといふ土の中のせつない感情や、薬師仏に身をすててぬかづき、物語のある限りみせたまへと念ずる心情は、今もなほ地上に生きてゐる筈であります。何等かの形で、人と共に、それは永遠に生きつづけるに相違ありません。
菱山君。そのやうな人々の「いのち」となるやうな物語を、僕は書き残しておきたいのです。――人がきいたら笑ふやうな、軽いことと言つたのは、実はこのへんのことでありました。
このやうな物語の場合には、作者の性格も、作者の伝記も、作者の名前すら不要なのですね。そしてまた単に行数の上から云へば、万葉の一行の和歌と同じいのちになるわけですが、そのやうなことは、凡そ文学の問題にはなりますまい。
僕は先日「松浦宮物語」といふものを読みました。次のやうな筋なのです。昔藤原宮の御時、参議氏忠といふ人があつた。七歳で詩をつくるほどの天才であつたが、心も美しく、また容貌もすぐれて、帝のいつくしみを受け十六歳で早くも中衛少将となり、従上の五位となつた。皇后の御腹のかんなひこのみこに恋したが、かなはず、失恋に歎き苦しんだ。翌年遣唐使をだされることになり、氏忠は十七の若いみそらで副使となり、はるばる唐へ赴いた。八月十五夜のことであつた。月にさそはれて唐の都の郊外を歩いてゐると、陶弘英といふ老翁の手引で、皇帝の妹の華陽公主から琴を習ふことになつた。仙人の秘曲をこの世につたへる因縁のためなのである。華陽公主の美しさに、ともすれば乱れがちになるのを、ここは仙人の通ふうてなだからと公主にいはれて、五鳳楼のもとであふ約束をする。公主がこの世に生れたのは仙人の秘曲を伝へるためで、契を結べばたちどころに命をめされるのであつたが、命をかけてもあはうと思ふならばといつて、約を果し、華陽公主は逝去された。やがて氏忠は唐の皇帝に重用され、政に参与するほどになつたが、皇后の美しさに、その面影
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