カンヌキをさすわけにいかなかった。そこで身にあまる歎賞の嵐のあとで、はからざる悲境に立つことになり、これが彼の命とりのガンとなった。

          ★

 お奈良さまの末ッ子に花子という中学校二年生があった。ところが春山唐七の長女を糸子と云って、花子とは同級生である。
 春山糸子は理論と弁論に長じ、討論会の花形として小学時代から高名があった。小学校では新学年を迎えるに当って受持教師に変動がある。そのとき「あの雄弁家のクラスは」と云って彼女が五年六年のころには各先生がその受持になることを避けたがる傾向があったほどである。母のソメ子にまさるウルサ型として怖れられていた。
 中学校二年の糸子は押しも押されもしない言論界の猛者であった。学内の言論を牛耳るばかりでなく、町内婦人会や街頭に於ても発言することを好み、彼女の向うところ常に敵方に難色が見られた。
 この糸子がソメ子にまさるお奈良さまギライであった。葬儀の直後、葬場から一室へ駈けこんで無念の涙にむせんだほどで、野人のかかる悪風は世を毒するものというような怒りにもえた。ソメ子の怒りも実は糸子にシゲキされた傾きがあったのである。
 そもそも彼女には禁酒論や廃妾論などゝ並んで売僧亡国論とか宗教改革論などというものがすでにあったのだから、祖母の葬儀を汚したオナラへの怒りは大きかった。その時までは糸子と花子は親友というほどではないが仲のよい友達であった。葬儀の翌日登校した糸子は同級生の面前で花子へ絶交を云い渡したうえ、
「その父の罪によって子たるあなたへ絶交するのは理に合しないかも知れませんが、この場合、理ではなく、すすんで情をとることにしたのです。祖母の孫たるの情において、あなたの顔を見ることにすらも堪えがたい思いです。肌にアワを生じる思いです」
 なぞと雄弁をふるった。そんなわけで花子は寺へ泣いて帰った。
 お奈良さまもソメ子にトドメをさされて戻ってきたところであった。自分のトドメだけなら円熟した心境でなんとなく処理もできるところであったが、花子の悲哀は思わぬ伏兵であるから気がテンドーした。娘を慰める言葉もなく途方にくれていると、例の物だけはこの際でもむしろ時を得顔に高々と発してくる。四ツ五ツまるまるとした音のよいのがつづけさまに鳴りとどろいたから、花子はワッと泣き叫んで自室へ駈けこみ、よよと泣き伏してしまった。

前へ 次へ
全11ページ中4ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング