それは子供の訪れのセンチメンタルな出来事にはゆかりのない別のことだ。愛し合うことは騙し合うことよりもよっぽど悲痛な騙し合いだ。そのこと自体がもう大変な悲しさではないのか!

 そのこと自体が悲しさだと? 言わしておけばつけあがり思いきった神がかりの凄文句をぬかす奴だが、そこで、と貴殿はひらきなおり、そのセンチメンタルな情景を、さてまた何の魂胆あって書いたんだと仰有るか? なんのことだ、そのこと自体の悲しさもないもので、一ぱし大人の口をきいてもそれがもう即ち馬脚の正体で、御神託の「悲しさ」ももはやお里が知れきっている。今更口をつねってもそのセンチメンタルなペーソスが結局お前の悲しさなんだと、こう仰有る。それが媚薬の言い訳なのか! さては又むごい別れの勇気もない臆病な心の言い訳なのか! こうも仰有る。
 よし分った! 一々貴殿の言う通り私は丹波の神官だ、臆病者だ、助平だ。然し一言言わしてくれ! そのセンチメンタルな情景は、今のさっきふと気紛れに思いついたまでの話で、小説の種にとんだ苦労をしなかったら、そんなことをクヨクヨと誰が二六時中考えてなぞいるものか! とさ。
 女に惚れる、別れる、ふられる、苦しむ、嘆く、そんなことは実はどうでもいいことなんだ。
 惚れるも易い、別れるも易い、また悲しむも易かろう。けれど、女に惚れ、女に別れたあとで、さて、何事を改めてやりだせというのだ? 友よ、何を改めてやりだしたらいい? 言ってみろ! 畜生! 俺がそれを知っていたら、誰がくそ一々放埓に結びつけて、こんなセンチメンタルな悲哀なんぞを感じるかというのだ!



底本:「坂口安吾選集 第六巻小説6」講談社
   1982(昭和57)年4月12日第1刷発行
初出:「作品 第六巻第十二号」
   1935(昭和10)年12月1日号
入力:高田農業高校生産技術科流通経済コース
校正:小林繁雄
2006年9月16日作成
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