りには喜びが、悲しみの代りには自殺が、あるにすぎないと言うのだ。それらは退屈で罪悪だ! モナリザに、聖母に鞭をふりあげろ。そこから悲しみの門がひらかれ、一切の行路がはじまる。真実や美しいものは誰にも好かれる。誰しも好きに決っているさ。然しそれは、喜びか自殺の代償でしかないじゃないか! 友よ、笑い給うな! 俺を生かしてくれるものは、嘘と汚辱の中にだけ養われているものなんだぜ」
 私は言いながら泣きだしそうになっている、或いは今にも怒りだして喚きそうになっている。そのくせ私の瞬間の脳裡には、汚辱の中の聖霊の代りに、モナリザの淫らな眼が映り、私の飽食を忘れた劣情がそれをめぐって蠢めくことを忘れてはいない、その愚かさを白状しなければならないのか?

 惚れない女を愛することができるかと? 貴殿はそれをききなさるか? もとより貴殿は男であろう筈はない。
 惚れてはいないが然し愛さずにはいられない、女なしに私は生きるはりあいがない。貴殿の逆鱗にふれることは一向怖ろしくもないのだが、偽悪者めいた睨みのきかない凄文句ではなかろうかとヒヤリとしてみたまでのこと。
 こう言えばとて私は愛情に就て述べているのではないのです。それに就て尻切れとんぼの差出口をはさむために私はあまりに貧困だ。(これは又謙遜な!)私はひとつの「悲しさ」に就て語っていたつもりなのです。(とは、どうだ!)よしんばそれが諸※[#二の字点、1−2−22]のインチキカラクリの所産であっても、それなしにウッカリ女も口説かれぬという秘蔵の媚薬。

 私のために家出した女があった。その良人が短刀を呑んで追いまわす。女とその妹は転々宿を変えなければならなかった。私の方でも、男の短刀を逃げているのか将又切支丹伴天連仕込みの妖術まがいの愁いの類いを逃げているのか恂にハッキリしていないが、これもつきあい[#「つきあい」に傍点]の美徳であろう、これは一人で然し相当に血相も変え転々宿をうつしていた。
 暫くの音信不通の間に、女は東京を落ちのび、中山道の宿場町に時代物の侘住居を営んでいる。私もうらぶれた落武者の荒涼とした心を懐いて宿場町へ訪ねていった。
 女の妹の不注意から、残してきた子供が母の居場所を知ることになった。子供はもう女学校へ間もないほどの少女である。女は子供を棄てたつもりでいたのだ。子供は母をなつかしんで飛んできた。生憎のこと
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