あとがき〔『いづこへ』〕
坂口安吾

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 私の終戦後の作品のうち「外套と青空」「白痴」以後の今日までの短篇の大部分をまとめたものです。
 目次を三つに区切つたのは、最初のが私の自伝的意味をもつ作品、その次が私小説ならざる現代小説、最後が歴史小説です。
 私は雑誌の選り好みといふものを余りやらず、私の執筆能力の限度に応じて、頼まれる雑誌へ引受けた順番に書いて行き、能力の限度以上はことはる、だから大衆雑誌、婦人雑誌のやうなものを引受けた後で、純文学雑誌や綜合雑誌をことはらねばならぬ羽目になる場合が多く、終戦後の私の作品を発表した雑誌といふものは雑然たるもので、娯楽雑誌にまで小説を書きました。然し、書いた小説は娯楽雑誌だからどうといふのでなく、どの雑誌へのせてもよかつたのだ。私自身は、たゞ、書けばよいのだから。
 けれども読者は迷ふに相違なく、大衆雑誌に書いたものは大衆小説だと思つて読んでくれないけれども、変に間の悪いもので、私の方はたゞ順番に書いて発表して行つて、娯楽雑誌や、黙殺される雑誌に、却つて自信のある作品がのるやうな巡り合せになることが多かつた。その作品にも多少は系列みたいなものがあるのだから、こゝに一冊にまとめる喜びは特別でした。
「いづこへ」といふ題の小説は他の作家にも数種あつて、まぎらはしいといふ話でしたが、現在の私自身、いづこへ行くのやら、わが行先が分らない。曠野を歩いてゐるだけ。だから「いづこへ」といふ題名は一つの小説の題名ではなく、私は執着した。「いづこへ」といふ小説を特に自負してゐる意味ではありません。私は先程もペンを投げだして、どこへ行くのやら、ふと、思はずにゐられなかつた。
 私自身が何者であるかは私には分つてゐない。たゞ、私は書くことによつて、私を見出す以外に仕方がない。私は原稿紙に向ふと、いつも、もどかしいだけで、そして、何がもどかしいのだか、それすらも、分つてゐない。
 そして、それならば、書きすてゝきたものゝ中に私が在るかと云へば、さういふ確たる自負は、全く、私には、ない。私はたゞ、いつも探しもとめ、探しあぐつて、さまようてゐるだけのジグザグの足跡だけ。私はいつたい何者なのだか、みなさんよりも、私自身がそれ
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