筆の事実に即した粗さと、人間の扱い方が線的なのが似ていると思った。善意も似ている。ただ話の筋の起伏に大小の差がはなはだしい。
けれども私は『異邦人』をはるかに高く評価している。異邦人の善意には濁りがないのだ。人々はあまり濁りなく安定しすぎていることで、この善意をコシラエモノ、マガイモノだと思うかも知れないが、善意は濁りがないに越したことはない。そして、そういうものを意識的に書こうとしても、人間に調子の高さ(技術面もふくめて)がくるまでは、だれも書くことのできないものだ。
底本:「坂口安吾全集 09」筑摩書房
1998(平成10)年10月20日初版第1刷発行
底本の親本:「毎日新聞 第二六六五五号」
1950(昭和25)年8月20日
初出:「毎日新聞 第二六六五五号」
1950(昭和25)年8月20日
入力:tatsuki
校正:花田泰治郎
2006年3月24日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。
前へ 終わり
全2ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
坂口 安吾 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング