ツった。それが何時だか私にはわからない。大時計の音も私にはよく聞こえない。耳のなかにオルガンの音でも響いているような気がする。最後の考えがうなってるのだ。
自分の思い出にふけるこの最期の時になって、私はまた自分の犯罪を思いだしてぞっとする。しかし私はもっと深く悔悛したいのだ。死刑判決以前には私はいまより多く良心の呵責《かしゃく》を受けていた。それが死刑判決後には、死の考えよりほかになんらの余地も心にないような気がする。それでも私は深く悔悛したいのだ。
自分の生涯のうちの過去のものをしばし夢みたのち、その生涯をやがて終らすべき斧の一撃のことを思いやる時、私は何かある新奇なものに出会ったようにびっくりとする。うるわしい幼年時代、うるわしい青年時代、金色の布地、そしてその先端は血ににじんでいる。あの当時と今とのあいだには、血潮の川がある、他の男と私自身との血がある。
もし他日私の経歴を読む者があったら、潔白と幸福との多くの年月の後に、犯罪で始まり刑罰で終わるこの呪うべき年があろうとは、おそらく信じかねるだろう。この一年は不釣合いな感じを与えるだろう。
それにしても、みじめなる法律とみじめなる人間らよ、私は悪人ではなかったのだ。
おお、数時間後には死するのか。そして、一年前のこういう日には、私は自由で清らかで、秋の散歩をし、木立の下をさまよい、木の葉の上を歩いていた、ということを考えると!
三五
今この時間に、私のまわりには、パレ・ド・ジュスティスの建物とグレーヴの広場とをとりまいてる人家のなかには、往き来し、談笑し、新聞を読み、自分の仕事のことを考えている、多くの人々がいる。物を商ってる商人たち、今晩の舞踏会の長衣を用意してる若い娘たち、子供と遊んでる母親たちがいる。
三六
ある日子供の頃、ノートル・ダームの釣鐘を見に行ったときのことを、私は覚えている。
薄暗い螺旋階段をのぼり、二つの塔をつないでいる細長い回廊を通り、パリを足の下に見て、私はもう目がくらみながら、石と木との檻の中にはいっていった。そこから鐘鐸《しょうたく》のついた釣鐘が千斤の重さでさがっていた。
よく合わさってない床板の上を私はふるえながら進んでいって、パリの子供や人民のうちにあれほど名高いその鐘を、すこし先のほうに眺めた。ななめの屋根で鐘をとりかこんでるスレートぶきの庇《ひさし》が、自分の足と同じ高さにあるのを見てとって、私は恐ろしくなった。そしてときどき上からちらと、ノートル・ダーム寺院の前庭を見おろし、蟻のような通行人を見おろした。
突然、その大きな鐘が鳴った。深い震動が空気をゆさぶり、重々しい塔を震わせた。床板は構桁《こうげた》の上に跳びあがった。私はその音であやうくひっくりかえるところだった。よろめいて、倒れかかって、スレートぶきのななめの庇《ひさし》の上を滑り落ちそうだった。恐ろしさのあまり私は床板の上に寝て、両手でしっかとそこにしがみつき、口もきけず、息もできず、耳には非常な響きが鳴りわたり、そして目の下には、断崖があり、深い広場があって、そこにはうらやましくも平然と多くの通行人らが往来していた。
ところで、私は今もちょうどその釣鐘の塔の中にいるような心地がする。すべて茫然自失と眩暈《めまい》とだ。鐘の音のようなものがあって、頭のなかを揺り動かす。そして私は人々が往来しているあの平坦な静かな人生から離れていて、周囲を見まわしても、ただ遠く深淵の隙間ごしにしかもうそれが見えない。
三七
市庁は不気味な建物である。
とがった急な屋根、奇妙な小塔、大きな白い時計面、小さな円柱の並んでる各階、無数のガラス窓、人の足ですりへってる階段、左右二つの迫持《せりもち》、そういうものをつけてそこに、グレーヴの広場と同平面に控えている。陰鬱で、悲しげで、全面老い朽ちて、ひどく黒ずんで、日があたってる時でさえ黒く見える。
死刑執行の日には、そのあらゆる戸口から憲兵が吐き出され、そのあらゆる窓から人の目が受刑人を眺める。
そして晩には、刑執行の時間を報じたその時計面が、建物の暗い正面に光っている。
三八
一時十五分だ。
私はいま次のような感じを覚える。
激しい頭痛。寒い腰と、燃えるような額。立ちあがったりかがみこんだりするたびに、脳のなかに液体でもはいってるような気がし、そのために脳みそが頭蓋骨の内側にぶつかるような気がする。
痙攣《けいれん》的な身震いがする。そしてときどき、電気にでも打たれるようにペンが手から落ちる。
煙のなかにでもいるように目がひりひり痛む。
肱の具合が悪い。
もう二時間と四十分、そうすれば私はすべて回復するだろう。
三九
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