゙らでさえそれをきらっている。(タヒチ島の州会は最近死刑を廃した。)それよりなお数段文明の階段をくだって、スペインかロシアへでも行くがよい。
 過去の社会の殿堂は、司祭と国王と死刑執行人との三つの柱に支えられていた。しかるに、すでに長い以前に一つの声が言った、神々は去れり[#「神々は去れり」に傍点]と。最近他のもう一つの声が起こって叫んだ。国王らは去れり[#「国王らは去れり」に傍点]と。いまや第三の声が起こって言うべき時である。死刑執行人は去れり[#「死刑執行人は去れり」に傍点]と。
 かくて旧社会は一塊一塊と崩れてしまうだろう。かくて天意は過去の崩壊を完成してしまうだろう。
 神々を愛惜した人々にむかっては、唯一の神がとどまっている、と言うことができた。国王らを愛惜してる人々にむかっては、祖国が残っている、と言うことができる。死刑執行人を愛惜するだろう人々にむかっては、何も言うべきものはない。
 秩序は死刑執行人とともになくなりはしないだろう。なくなるなどと思ってはいけない。未来の社会の穹窿《きゅうりゅう》は、その醜い要石がなくても崩れはしないだろう。文明というものはあいついで起こる一連の変更にほかならない。いま人が直面しようとするのは、刑罰の変更にである。キリストの穏和な掟は、ついに法典にもはいりこみ、法典を貫いて光り輝くだろう。罪悪は一つの病気と見られるだろう。そしてその病気には、医者があって裁判官のかわりとなり、病院があって徒刑場のかわりとなるだろう。自由と健康とは相似たものとなるだろう。鉄と火とが当てられたところに香料と油とが塗られるだろう。憤怒をもって処置されたその病苦は慈愛をもって処置されるだろう。それは単純な崇高なことだろう。磔刑台のかわりに据えられた十字架。それだけのことである。
  一八三二年三月十五日



底本:「死刑囚最後の日」岩波文庫、岩波書店
   1950(昭和25)年1月30日第1刷発行
   1982(昭和57)年6月16日改版第30刷発行
※原題の「LE DERNIER JOUR D'UN 〔CONDAMNE'〕」は、ファイル冒頭ではアクセント符号を略し、「LE DERNIER JOUR D'UN CONDAMNE」としました。
入力:tatsuki
校正:大野晋、小林繁雄、川山隆
2008年5月17日作成
青空文庫作成ファイル:
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