、店の軒なみは、一つの広場の角で切れた。群集の声はなおいっそう広く甲高く愉快そうになった。馬車は急にとまった。私はうつむけに倒れかかった。司祭が私を支えてくれた。
「しっかりなさい。」と彼は囁いた。その時馬車の後部に梯子《はしご》が持ってこられた。司祭は私に腕をかした。私は降りた。それから一足歩いた。次に向きなおってもう一足歩こうとした。が足は進まなかった。河岸の街灯のあいだに、すごいものを見てとったのである。
おお、それは現実だった!
私はもうその打撃を受けてよろめいてるかのように立ちどまった。
「最後の申し立てをしたい。」と私はよわよわしく叫んだ。
彼らは私をここに連れてきた。
私は最後の意志を書かせてくれと願った。彼らは私の手を解いてくれた。しかし綱はいつでも私を縛るばかりになってここにあるし、その他のものは、あすこに、下のほうにある。
四九
裁判官だか検察官だか属官だか、どういう種類のものか私にはわからないが、一人やってきた。私は両手を合わせ両膝をつきながら赦免を願った。彼は余儀ない微笑をうかべながら、言いたいことはそれだけかと私に答えた。
「赦《ゆる》してください、赦してください!」と私はくりかえした。「さもなくば、御慈悲に、もう五分間猶予してください。どうなるかわかりません、赦されるかもしれません。私くらいの年齢で、こんな死にかたをするのは、どうにも恐ろしいことです。最後のまぎわに特赦がくる、そういうこともたびたびありました。私が特赦を受けないとすれば、誰が特赦を受ける資格がありましょう?」
呪うべき死刑執行人、彼がそのとき裁判官に近寄ってきて言った、死刑の執行は一定の時間になされなければならない、その時間がもうせまっている、自分は責任をになっている、そのうえ雨が降っている、機械のさびるおそれがあると。
「どうぞ御慈悲に、一分間私の赦免の来るのを待ってみてください。さもなくば、私は抵抗します、かみつきます!」
裁判官と死刑執行人とは出ていった。私はひとりきりだ。――二人の憲兵と一緒なだけだ。
おお、山犬のように叫び声をたててる恐ろしい群集!――わかるものか、私が彼らから遁《のが》れられないかどうか、私が助からないかどうか、私の赦免が……。私が赦免されないということがあるものか。
ああ、あいつら、階段をのぼってくるようだ……。
四時!
[#改丁]
序
本書の初めの諸版は、著者の名前なしでまず出版されたものであって、冒頭には次の数行しかついていなかった。
[#ここから1字下げ]
本書の成立を会得するのに、二つのしかたがある。すなわち、黄ばんだ不揃いなひとたばの紙が実際あって、一人のみじめな男の最後の思想が、それに一つ一つ書き留められているのが見出されたのだと。あるいはまた、哲学者とか詩人とか、とにかく一人の者が、芸術のために自然を観察している夢想家があって、本書のなかにあるような観念を心にうかべ、それを取りあげて、というよりむしろそれに捉えられて、それからのがれる途はただ、それを一冊の書物として投げ出すよりほかはなかったのだと。
その二つの説明のうち、どちらなりと好きなほうを読者は選ぶがよい。
[#ここで字下げ終わり]
右のことでわかるとおり、本書が出版された当時、著者は自分のすべての考えをすぐに述べるのが適当だとは思わなかった。そして自分の考えが人に理解されるのを待つほうを好み、はたして理解されるかどうかを見るのを好んだ。ところが著者の考えは理解された。で今や著者は、文学という潔白清純な形式で普及させようとした自分の政治的思想や社会的思想を、あからさまに持ち出すことができる。そこで著者は言明する、というよりむしろ公然と告白する、『死刑囚最後の日』は、直接にかあるいは間接にかは問わずして、死刑の廃止についての弁論にほかならないと。著者が意図したところのものは、そして後世の人がかかる些事にも気を配ってくれることがあるとすれば、後世の人から作品のなかに見てとってもらいたいと著者が思ったところのものは、選ばれたる某罪人についての、特定の某被告についての、いつでも容易なそして一時的な特殊の弁護ではなくて、現在および未来のあらゆる被告についての、一般的なそして恒久的な弁論である。大いなる最高法院たる社会の前においてあらゆる人が陳述し弁護する、人間の権利に関する重大な一事である。すべての刑事訴訟より以前に永遠に打ち立てられている、最上の妨訴抗弁であり、血に対する嫌悪[#「血に対する嫌悪」に傍点]である。すべての重罪審の底で、法官らの血なまぐさい修辞学の熱弁の三重の厚みにおおわれながら、ひそかにうごめいているほの暗い避けがたい問題である、生と死との問題であり、なおあえ
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