ォ出すように、中庭の中に送りだした。徒刑囚だった。
彼らがやって来ると、窓の者らはますます喜びの声をはりあげた。徒刑囚のうちのある者など、徒刑場に名の響き渡ってる者などは、歓呼と喝采《かっさい》とを浴びせられて、それを一種のほこらかな謙遜《けんそん》さで迎えた。多くの者は監房の藁で手ずから編んだ帽子めいたものをかぶっていたが、通ってゆく町々でそれによって自分を目立たせようと、どれもみなへんてこな形をしていた。そういうのはなおいっそう喝采された。ことにある一人は熱烈な称賛を博した。それは娘のような顔をした十七歳の青年だった。八日前から接見禁止で禁錮されてる監房から出て来たのだった。彼は監房の藁たばで一つの服を作って、それを頭から足先まですっぽりとまとい、蛇のような軽快さでとんぼ返りをしながら中庭にはいってきた。窃盗のために処刑された道化役者だった。激しい拍手と歓喜の声とがおこった。徒刑囚らもそれに答えた。ほんものの徒刑囚と見習いの徒刑囚とのあいだのその喜悦の贈答は、恐るべき事柄だった。獄吏らとふるえている見物人らとで代表されてる社会がいくらそこに控えていても、罪悪は面と向かって社会を嘲笑し、その恐ろしい懲罰を内輪同士の祝いごととしていた。
彼らはやってくるにしたがって、監視らの立ちならんでいるあいだを、鉄柵のついた小さなほうの中庭に押しやられた。そこには医者たちが彼らを診察するために待ち受けていた。囚人らは皆そこで、目が悪いとか足が不自由だとか手が不具だとか、なんらかの健康上の口実を述べたてて、移送を避けるために最後の努力を試みた。しかし皆たいていは徒刑場に適するものと認められた。すると彼らは各自こともなげにあきらめをつけて、いわゆる生涯の不具なるものをすぐに忘れてしまった。
小さな中庭の鉄柵はまた開かれた、一人の獄吏がアルファベット順に点呼した。すると彼らは一人一人出てきて、大きなほうの中庭の隅に行き、名前の頭文字のままに与えられた仲間のそばに立ちならんだ。かくて彼らは各自に自分自身だけになされる。各自に自分の鎖を担い、未知の者と相並ぶ。偶然一人の友があっても、鎖のためにへだてられる。最後の悲惨事だ。
約三十人ばかり出てきたとき、鉄柵はまた閉ざされた。一人の監視が棒で彼らに列を正させ、粗麻《あらあさ》の一枚のシャツと上衣とズボンとを一人一人の前に投げ出し、そ
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